「もうこりごり」「病院は二度とごめん」夫の決断に倉田真由美の取った行動とは 「大正解」だった訪問医の言葉
状況が一変
2024年2月に亡くなった映画プロデューサーの叶井俊太郎さん(享年56)は、最初から家で死ぬと決めていたわけではなかった。当初はホスピスを考え、妻で漫画家の倉田真由美さん(54)に「調べておいて」と頼んでいたほどだ。しかし、入院や処置を重ねる過程で「病院は二度とごめんだ」と感じ、「家で死ぬから」と告げたという。最新刊『夫が「家で死ぬ」と決めた日 すい臓がんで「余命6か月」の夫を自宅で看取るまで』(小学館)を出した倉田さんが当時の様子を振り返る。(全5回の第2回)
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【写真】「もうこりごり」だったという病院での姿…生前の叶井俊太郎さん。倉田さんが「一生忘れない」という娘との2ショットも
夫は最初から家で死ぬと決めていたわけではありません。むしろ、最初はホスピスに入ると言っていて、私に「調べておいて」と頼んできたこともありました。私自身もその頃は、まだ先のことだと漠然と考えていましたし、「(施設に)行って見ないとわからないな」と思っていました。
状況が変わったのは、一度入院した時でした。2023年8月、胆管ステントの交換などで長期の入院を余儀なくされました。
夫はもともとじっとしているのが苦手な人で、仕事や人と関わるのが大好きな性格です。そのため、1か月近くに及ぶ長期の入院で「自由がないこと」を非常に嫌がっていました。
手術後は激しい痛みもあり、痛みから逃れるために自殺未遂をほのめかす騒動も起きました。この経験から、夫は「もうこりごりだ」「病院は二度とごめんだ」と感じ、「俺はもう二度と病院に行かない、入院しない。家で死ぬから」とはっきり口にするようになりました。
夫がそう決めた時、私は「そうだよ、そうだよ、当然だよ」という気持ちになっていました。いろんな経験をして日々を過ごす中で、「やっぱり家だよね」と夫婦で同時に在宅死という選択に至ったのです。意見のズレは全くありませんでした。
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