「家で死にたい」夫の願いを叶えた漫画家・倉田真由美 すい臓がんステージ4、標準治療を選ばなかった夫婦の選択

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情報が不足

 その背景には、標準的な医療から外れた情報が、なかなか表に出にくいという現状がある。ならば、私のような経験をした者が「こういう生き方もあるんですよ」と声を上げ、在宅死という選択肢があることを伝えるべきだと思ったんです。

 本の冒頭では、初めて、亡くなる前日や当日の様子を詳しく書きました。これまで、表現者として生きてきて、言いたいことがある場合、出さざるを得なかったです。夫が亡くなる前日や当日のことは、つらいですが、私にとっては欠かせない出来事です。

 夫は、自宅で、私の目の前で息を引き取りました。2024年2月16日の夜のことです。その前日までは変わった様子もなく、日中は私を杖代わりに散歩に出かけたり、ご飯を食べシャワーを浴びて髭を剃ったりと、普段通りの一日でした。

 ただ、前日の午後10時頃から様子がおかしくなり、何度も唾や胃液のようなものを吐き始めました。いつもは深刻に捉えない私でしたが、夫が「先生、呼んで」と強く訴えるので、深夜に訪問医の先生に電話をかけたのです。

 先生が到着する前、朦朧としながらも夫は「痛いのとか苦しいのはやめてくれ」と言いました。先生は夫の血圧を測り「血圧が測れないほど低い。これで座って話せているのが信じられない」「夜明けまでもたないでしょう」と告げました。

 その時、義理の妹に電話をして駆けつけてもらいました。亡くなる日の朝、夫が奇跡的に目を覚まし、私に「俺、昨日やばかったよね」と声をかけました。私が泣きながら「うん。危なかったよ」と答えました。このやり取りが夫との最後の会話になりました。

 亡くなる瞬間は本当に突然、すっと逝ってしまった感じでしたね。義理の妹が来てくれて、親戚に連絡するといった実務的なことを指示してくれたのは大変助かりましたね。

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 第2回【「もうこりごり」「病院は二度とごめん」夫の決断に倉田真由美の取った行動とは 「大正解」だった訪問医の言葉】では、叶井さんが「家で死ぬから」と語った経緯などについて語っている。

倉田真由美
1971年、福岡県出身。漫画家。一橋大卒業後、『だめんず・うぉ~か~』で脚光を浴び、多くの雑誌やメディアで漫画やエッセーを手掛ける。“くらたま”の愛称で多くのメディアでコメンテーターとしても活躍中。近著に『抗がん剤を使わなかった夫』(古書みつけ)がある。9月30日には「本屋 B&B」にて『夫が「家で死ぬ」と決めた日』 発売記念イベントを開催予定。

デイリー新潮編集部

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