“待望論”に愛子さまご自身の本心は…昭和天皇第1子「成子内親王」と重なる前向きで質素な生き方

国内 社会

  • ブックマーク

 秋篠宮家の長男・悠仁さま(19)が成年式を無事終えられた。憲法や皇室典範の規定に基づき、摂政を置くことなく即位が可能となる、次世代唯一の皇族となられた。現行法が改定されないかぎり、将来の即位が既定路線となっている。しかし、国会運営が不安定なために、皇室制度の未来は見通せないままだ。上皇陛下の退位を可能にした皇室典範特例法の付帯決議にもとづき、皇族数の確保策を国会で取りまとめるため、額賀福志郎衆院議長は通常国会中の結論を目指した。だが、6月に会期末を迎えてペンディングとなり、さらに石破茂首相の退陣表明が重なり、年内の結論も絶望的な状況にある。

 天皇家の長女・愛子さま(23)は結婚後も皇室にとどまるのか。不測の事態があった場合に愛子さま即位の可能性は残されるのか――。一方で、仲睦まじいご両親のもとで育った愛子さまには「民間から皇室に入られたお母さまのように重圧を背負い込むことなく、良きパートナーと巡りあって穏やかで幸せな家庭をお築きになってほしい」との周囲の声もある。

 愛子さまはご自身の将来を、どのように描かれているのだろうか……。愛子さまにとっては大叔母にあたり、今年で生誕100年となられた故・東久邇宮成子内親王(1925-61)の生涯は、大いに参考になるのではないか。

家事のやりくり

 昭和天皇の第1子として1925(大正14)年に生まれた成子内親王は、「天皇の長女」のほかにも、愛子さまとの共通点は多い。

 学習院では学業優秀な模範生で、スポーツや英語劇に活躍。その姿は学校のバスケットボール部で活躍し、英国の名門・イートン校に短期留学をした愛子さまと重なる。最近では来日した海外の賓客をご両親が皇居に招いた際に、愛子さまも英語で会話される場面が増えてきた。

 戦中に東久邇宮盛厚王と結婚した成子内親王は、終戦後に皇室を離れると、物資が不足する“焼野原”で、主婦として家事をうまくこなす。1949(昭和24)年には女性誌『美しい暮しの手帖』(現在の『暮しの手帖』)へ民間人“東久邇成子”の名で寄稿した「やりくりの記」と題する文章が反響を呼んだ。成子内親王はこう綴っている。

〈居間の方が全部焼けて、ただ玄関と応接間だけが残ったので、これを修理して、やっと、どうにか住めるようにした(中略)台所と言っても、ただ流しだけ(同)こんな生活でも、いまの暮しを私はたのしいと思う〉

 質素な生活ながら前向きさ、ひた向きさがうかがい知れる。

 読者からは「昭和天皇のお嬢さまが自分たちと変わらない生活をされている」などとする驚きとともに、常に明るく努力を惜しまない飾り気のない姿勢への共感の声が多数寄せられた。

次ページ:叔母のティアラ

前へ 1 2 3 次へ

[1/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。