習近平とプーチンは「不死は可能」と語り合った? “健康でなくてはならない”という呪いに古市憲寿が思うこと

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 加賀温泉で開催された「エンジン01」に行ってきた。文化人が集まって各地で講座を開催するイベントで今年が21回目。設立当初からの会員は20歳分、年を重ねたことになる。確かに会報は訃報欄がいつも充実している。為末大さんが「エンジンでは若者扱いしてもらえるからうれしい」と言っていた。還暦を迎えた中瀬ゆかりさんもここでは若手扱いである。

 ただ実年齢と見た目年齢や印象年齢は一致しない。エンジンではないのだが、少し前に上野千鶴子さんや信田さよ子さんたちと食事をした。量が多いといわれているレストランだったので心配したのだが、信田さんに至ってはおかわりをしていた。「いつもコース料理を出されても量が足りるか心配なんだけど今日は足りてよかった」とのこと。店には18時半から23時前までいた。別れた後、信田さんの年齢を調べてびっくりした。

『アンチ・アンチエイジングの思想』なんて本を出しているから「若い」が褒め言葉にならないのかもしれないが上野さんも相変わらず元気である。「老い」が社会的なものであり、過剰に老いを忌避する社会が息苦しいものだったとしても、個人が若く健康でありたいと願う心情までは否定しないだろう(信田さんには『アンチエイジングの手法』を出してほしい)。

「美」と同様に「健康でなくてはならない」というのも現代人にかけられた呪いだ。新型コロナウイルスの流行に対する過剰な私権制限は、この呪いの「成就」に他ならない。実際、1956年に発生し、世界的な流行になったアジア風邪に対して、当時の人々はロックダウンなんてことを考えなかった。

「健康」を求める思想はとどまるところを知らない。習近平とプーチンは「70歳は子ども」「不死すら可能」と語り合ったという。昔から不老不死を求めた独裁者はいたが、この資本主義社会では不死の技術が実現した場合、真っ先にその恩恵を受けられるのは資本家になるだろう。少なくともその権利が独裁者だけに独占されるとは思えない。

 社会制度は一定の平均年齢に基づいて設計される。現在の日本でもそのズレが露呈しているわけだが、仮に寿命が150歳や200歳の時代になったら、社会保障はいかに可能なのか。まあ、すぐに訪れる未来ではないだろうけど。

 さて、エンジン01で参考になったのは、ピアニストの熊本マリさんの美容法。美容に関心がある人もない人も、みんな少なからず顔には気を使う。だが手がおろそかになりがちだというのだ。確かに手というのは意外と目につく。そこで熊本さんは顔に化粧水や美容液をつける時、手の甲にも塗りたくっているのだという。高いものでなくていいので、たくさんつけた方がいいというのは同意である。

 さらに合理的にするために普通は手のひらに取るところを、手の甲に美容液などをつけて顔に塗ったらいいのではないかと提案したら、それは無視された。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2025年9月25日号掲載

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