「戸に吸い込まれる女」を目撃――止まない「赤ん坊の泣き声」の正体は 数年後に判明した驚きの事実【川奈まり子の百物語】

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【前後編の後編/前編を読む】30代同棲カップルを毎夜悩ます“謎の赤ん坊”の泣き声 その矢先に「私、妊娠したみたい」……

 これまでに6,000件以上の怪異体験談を蒐集し、語り部としても活動する川奈まり子が世にも不思議な一話をルポルタージュ。

 和真さんと歩さん(ともに仮名)は交際中の30代カップルだ。親からのプレッシャーで同棲を決めマンションに入居した2人だったが、近隣の部屋に赤ん坊がいるのか、毎夜、泣き声に悩まされ続ける。だが和真さんが確認すると、右隣に暮らすのは中年の男女、左の部屋には愛想の悪い老人と、それと思しき家族はいない。四方八方から響く赤ん坊の声に再度の引っ越しも考え始めた矢先、歩さんから「妊娠したようだ」と告げられる……。

 ***

 その夜は2人して、頭から蒲団を被って無理やり寝た。不思議と、明け方から日中にかけては赤ん坊の声がしたためしがなかった。そのときも、しらじらと夜が明ける頃にはすっかり静まっていた。

 歩さんは翌日、産婦人科を受診した。妊娠5週目に差し掛かっていたと昼休みに電話で報告してきた声は、すっかり落ち着きを取り戻していた。

「順調だって。産んでいいよね?」

「もちろんだよ!」

「安定期に入ったら、実家と和真くんのご両親に報告しなきゃね」

 歩さんの声は軽く弾んでいるように聞こえ、和真さんもそこでやっと喜びを感じ始めることができた。

不思議なお隣さん

 妊娠発覚からおよそ3週間後の、11月のとある日曜日。昼から2人で外出をして、午後6時頃に帰ってきた。この日の天気は曇り。日が沈むと顕著に気温が下がった。2人で体を寄せ合い、近所を歩いていると、前方に右隣の部屋の女性がいた。こちらに背を向け、うつむき加減で、のろのろと歩いている。地味な普段着姿で、手ぶらのようだ。

 部屋のすぐ手前で追いつきそうになった。だが、彼女はそのまま、スススーッと右隣の部屋のドアを……開けずに、戸板に、まるで吸い込まれるように消えた。

 ギュッと、和真さんの二の腕に歩さんがしがみついた。その手が小刻みに震えている。

「今の、見た?」

「うん。あの人、なんか不気味だと思ってたけど……やっぱり幽霊だったんだ……」

「でも、前に挨拶に行ったときは普通の人だったし。今のは何かの見間違いじゃないかな」

 和真さんは、右隣の部屋のドアを開けてみたい衝動に駆られたが、そんな非常識なことはとてもできない。衝撃を受ける歩さんとともに自宅の玄関を開けると……それと同時に、泣き喚く赤ん坊の声が溢れ出した。

 真っ暗な室内に、声だけが響く。何処からともなく聞こえ、電気を点けても、何かの姿が見えるわけでもない。ただ泣き声だけが延々と……。

「おかしくなりそう」

 歩さんは呻くように呟くと、そのまま床にうずくまってしまった。

「どうした?」

「お腹が痛い。救急車を呼んで!」

 一緒に救急車に乗り込むとき、和真さんは再び、先ほどの隣人女性の姿を見た。ひっそりと佇み、こちらを見ていたが、なぜか靴を履いていない。異様だ。やはり幽霊なのか。混乱の中、そんなことが気になった。

 救急車が道を急いだが、その甲斐なく、歩さんは流産してしまった。

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