「人前で服薬はNG」「ビデオ会議の退出は上司優先」…… しばしば炎上のマナー講師は“失礼クリエイター”? 批判に当事者は
マナーを身につけるということは
SNS上のマナーにまつわる話題では、しばしば2021年に放映されたNHKのドラマ『岸辺露伴は動かない「富豪村」』のエピソードを引き合いに出されることが多い。
この作品では、異常に細かく厳格な「家の作法」を強要する村が描かれる。そんな「マナーを押し付ける滑稽さ」をマナー講師に重ね、批判する文脈で引用されているのだ。
一方で、作中で主人公が語る「真のマナー」は称賛されるのだが、実はこのドラマのマナー監修を担当したのは西出さんなのだ。もちろん原作におけるマナー監修も西出さんである。
マナー講師の説くマナーを批判する一方で、称賛するマナーの在り方もマナー講師が監修している…………。この自己矛盾ともいえる構図を鑑みると、SNS上のマナー論議を鵜呑みにするのも考え物かもしれない。「マナーとは何か」という本質を、自分自身の頭で考える必要があるのではないだろうか。
「私が一貫してお伝えしているのは、マナーとは『相手の立場に立ってみること』。その上で『人を思いやる心を行動で表すこと』に尽きます。極めてシンプルな理念です」
それは決して、自分を高く見せたり、相手を貶めたり、ルールで縛り付けたりするものではない。
「マナーを身につけるということは、相手がどう感じるか、どうしたらみんなが気持ちよく過ごせるか、という『他者への想像力』を養うこと。それは、ひいては組織や自身の生き方、幸せにも繋がります」
コロナ禍があったように、時代や文化、状況が変われば、マナーの形は変化していくものだ。
「しかし、その根底にある『他者を尊重する心』という核心は、いかなる時代でも決して変わらない、不変の価値だと思いますね」
世に「失礼クリエイター」と呼ばれてもしかたない講師が存在するのも事実だろう。
しかし、彼らを揶揄するだけに終始し、自らはSNS上で他者を傷つける無配慮な発信を続けるならば、それは本末転倒。
私たちに必要なのは、単純な善悪の二元論で相手を断罪することではなく、マナーの本質である「思いやり」というコンパスを、自分の胸の中に再び取り戻すことではないだろうか。




