「さすが陛下だなあと思いました」 当時の医師団が明かしていた「昭和天皇」最後の日々 発表で“ガン”という言葉を使わなかった理由とは
昭和天皇の容体が急変し、突然吐血されたのは、今から37年前の1988年9月19日のことだった。深夜に流れた「天皇倒れる」の報は瞬時に日本を揺るがし、国民にひとつの時代の終わりを予感させた。その110日後に昭和が終わり、今は平成も過ぎ令和、あるいは「昭和100年」である。
「天皇倒れる」の報が流れたあの時、皇居とその周囲では何が起こっていたのか。関係者の証言で激動の日をたどるドキュメント「昭和天皇が倒れた日」。第1回では、スクープを読み上げた櫻井よしこさん、NHKの皇室担当デスクだった橋本大二郎氏、1987年に昭和天皇が嘔吐した場に居合わせた元通産相の田村元氏、ガンが見つかった同じ年の手術で麻酔を担当した医師たちが証言する。
(全2回の第1回:以下、「週刊新潮」2008年9月25日号「1988年9月19日 ドキュメント『昭和天皇が倒れた日』」を再編集しました。文中の年齢、肩書等は掲載当時の2008年のものです)
***
【写真】皇居の記帳所には長蛇の列…日本に緊張が走った37年前の9月
番組終了間際に手書きのメモが
「なお、今入ったニュースですが、今夜11時過ぎ、高木(高=はしごだか)侍医長が急遽、皇居に向かいました」
1988年9月19日午後11時24分。日本テレビのニュース番組「きょうの出来事」のキャスター・櫻井良子(現在・よしこ)さんは、カメラに向かってこう告げた。日本テレビのスクープである。この瞬間、国民は87歳の天皇陛下(昭和天皇)の身の上に、何らかの異変が生じたことを知ったのだった。
「その日は、陛下に関するニュースを読む予定は一切なかったのですが、番組終了間際になって、いきなりパッと手書きのメモが渡されました。そこには殴り書きのような文字で、“高木侍医長が皇居に向かったと”書いてありました。それで、急遽、緊急ニュースとして短いニュースを読むことになりました」
こう振り返るのは、現在ジャーナリストとして活躍する櫻井さん。
「ニュースを読みながら、“これから何か起こるな”という予感がしました。事実、このスクープをきっかけにして、翌年1月の崩御までてんやわんやの状況になりました。昭和という時代の大きな総括をすべき時が近づいているのではないか、新しい幕開けを感じましたね」
スクープは、東京・代々木の高木顯(あきら)侍医長宅前を通りかかった日本テレビの記者が、夫人の運転で出かける侍医長を見かけ、皇居に向かったことを確認して、ものにしたのだった。
[1/4ページ]


