「さすが陛下だなあと思いました」 当時の医師団が明かしていた「昭和天皇」最後の日々 発表で“ガン”という言葉を使わなかった理由とは
手術前、医師に「ご苦労である」と
1987年7月31日、那須御用邸に静養中には、〈また胸のむかつきと嘔吐を催されし由、度々のことゆえ原因が憂慮される〉(『卜部亮吾侍従日記』)。
同年8月23日同じく那須で、〈お昼寝後またお吐き大量に〉(同)。
天皇は身体の不調を訴え、吐くことも多くなり、同年9月13日、宮内庁病院で精密検査を受けることになる。
〈レントゲン検査の結果、やはり十二指腸の末端から小腸のはじめにかけての部分に通過障害があることがわかったのです〉(前出『昭和天皇最後の百十一日』)
翌日、侍医会議が開かれたが、通過障害部分にバイパス手術を施すことが決まった。執刀医は東大医学部第一外科の森岡恭彦教授、麻酔担当も同じく東大の沼田克雄教授に決定した。
「手術前、陛下は“ご苦労である”とおっしゃいました。堂々として凛然としたものがありました。さすが陛下だなあと思いました」
とは沼田元教授(78)。同年9月22日午前11時55分、手術はスタートする。
「陛下は手術中、一度も“痛い”とはおっしゃらなかった。手術中に陛下に“痛い”とは言わせないことを目標にしていましたので、本当に良かった」
ガンという言葉を使わなかった理由
午後2時30分手術終了。
「バイパス手術は成功した。膵頭の下部が腫大し、十二指腸を圧迫し、通過障害の原因と考えられる。慢性膵炎の疑いがある」
と医師団は発表したが、実際は、膵臓ガンが発見されていた。
「公式発表ではガンという言葉は使いませんでした」
とは、同じく麻酔を担当した元東大助教授で現在、帝京短大教授の諏訪邦夫氏(71)である。
「新聞やテレビにガンという言葉が出てしまうと、陛下の眼にも入ってしまう。それはよろしくない。誰もがガンと思いつつ“慢性膵炎”と発表したのだと思います。バイパス手術を選んだことも、当時の医学水準を考えれば妥当な判断でした。十二指腸頭部を切除する根治治療を行うと、4週間以内に死ぬ可能性は5%近くもあった。天皇に万が一何かがあってはいけない。そういう条件の中で根治治療を選ぶのは難しかったのではないかと思います」
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