「日本で力士になりたい」 ウクライナ出身の21歳「安青錦」、初土俵から2年足らずで幕内優勝争いに絡んだ若き才能【令和の名力士たち】
朝青龍関と貴乃花関の相撲に感動
ウクライナ出身の安青錦ことヤブグシシン・ダニーロ・ダーヤ、愛称ダーニャが相撲を始めたのは7歳の時。ウクライナは、レスリング、柔道、相撲が盛んで、そうしたスポーツと同時に相撲の指導も受けていたという。
2019年、大阪・堺でおこなわれた世界ジュニア相撲選手権では3位入賞を果たした。15歳で「世界の舞台」を経験したダーニャ少年は、相撲の世界に強く惹き付けられた。
さらに、17歳の時にはウクライナのレスリング大会に出場し、110キロ以上級で優勝。「二刀流」ぶりを見せている。
また、日本の大相撲界には、強い力士がたくさんいることも、徐々に知った。
「特に感動したのは、朝青龍関と貴乃花関(2002年秋場所)の相撲。『すごいな! カッコイイな』と思って、YouTubeで何度も見直しました。最近だと、若隆景関の相撲もすごいと思いました。特に技のキレがすばらしいですね」
ウクライナの国立大学に進学が決まっていたが、その矢先に起きたのが、ロシアによるウクライナ侵攻だった。日常生活はもちろんのこと、相撲の練習などままならない環境の中で、ダーニャが選んだのは、世界ジュニア相撲選手権で知り合った、関西大学相撲部主将のもとに行くことだった。
日本語スキルもみるみる向上
主将の山中新大は、力士になりたいというダーニャの夢を受け入れた。自宅に住まわせ、関西地区の大学や高校の相撲部の練習に参加させて、ダーニャを鍛えた。
「大相撲の力士は『プロ』ですよね。『レスリングのプロ』という人はいないんです。相撲を究めるために、なんとか力士になりたいと思っていました」
「居候生活」と相撲を続けながら日本語学校にも通うという生活は、約8カ月続いた。
ダーニャの夢につながる縁は、報徳学園高・相撲部監督が、安治川親方(元関脇・安美錦)に彼の存在を紹介したことでつながった。
創設されたばかりの安治川部屋の研修生になったのは、2022年12月のこと。外国出身力士は、約半年間、相撲部屋で言葉やしきたりなどの研修を経て、それをクリアした者が正式に入門できることになっている。
幸い、安治川部屋には、同世代の力士が多く、ダーニャは相撲部屋の生活にすんなり馴染むことができた。また、日本語学校での経験を生かして、部屋の力士との会話も問題なくできたため、日本語のスキルはみるみる上がっていった。
日本語をマスターすることは、外国出身力士の登竜門になる。親方や兄弟子が言っていることが理解できず、責められていると思い込んで孤独に陥る者、逆に腹を立てて辞めていく者が、かつては多かった。「研修」制度ができたのは、そうした文化の違いを理解する時間を設けるという意味でもある。
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