「チームの稼ぎ頭の年俸が過去に1億円を超えたことも」…インドネシアで活躍「南部健造」選手が明かす“凄まじいサッカー熱” 地元選手には“追っかけも…

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批判のDMが100通以上届いたことも

 南部選手は中京大学を卒業した2015年、当時J3に在籍していたカターレ富山(現在J2)に入団するも、試合出場の機会はなく、わずか1年で戦力外通告の憂き目に。その後の3年間はサッカーの指導者として生計を立てながら、JFLのブリオベッカ浦安(現、ブリオベッカ浦安・市川)とFC大阪(現在J3)で計3シーズンプレーを続けた。

「僕にはもうこれ以上、同じカテゴリでプレーすることはやめようと思いました」

 26歳の時に一度は無所属の身になり、「一時は引退を考えた」という南部選手だったが、代理人との相談を経て、東南アジアのタイでのトライアウト受験を決断。その後は同国2部リーグのカセサートFCへの加入が決まり、現役を続けることが出来た。そして、2019年からの約3年半にわたり、タイ国内リーグで5チームを渡り歩いた南部選手は、2022年6月にインドネシアの強豪PSMマカッサルのオファーを受諾し、新天地に活躍の場を移した。

「チームに入団したばかりの頃は、期待を裏切るパフォーマンスが続いてしまったこともあり、僕のSNSに悪口を書かれたDMが、毎日百件以上送られてきたこともありました」と辛い経験も明かすが、それでも徐々に環境に馴染んだ南部選手は、主力選手としてチームを支え、移籍1年目でPSMマカッサルのリーグ優勝に貢献。日本人としては初のBRIリーグ優勝も経験した。

「批判的なDMを受ける中でも結果を残し、やっとスタートの土俵に立つことができて更に気が引き締まったし、『彼らを見返してやる』と改めて背中を押してくれるきっかけになりました。チームメートと共に優勝パレードに参加した時には、熱心なサポーターの方から“自分の子供に『ケンゾー』と名付けたから”と驚きの報告を受けたりもしましたし、サッカーで足跡残せたことは僕にとっても大きな自信になりました」と、慣れない異国の地で掴んだ栄冠を感慨深げに振り返った。

東南アジアでプロ選手になることのメリット・デメリット

 現在の日本サッカー界は毎年100名を超える選手がJリーガーとなり、プロ選手としてのキャリアをスタートさせるが、その一方で平均引退年齢は25~26歳と言われ、厳しいポジションが待ち構えている。日本のクラブから声がかからずとも、プロになる夢が諦められない学生や、日本で実力を発揮できないJリーガーが、東南アジアに活路を見出すことも一つの選択肢になりそうだが……。

「日本の当たり前とかけ離れていることがたくさん襲いかかってきますし、ピッチに立つまでに乗り越えなければならないことがあるので、本当に相当な覚悟がないといけない。メリットもデメリットもありますが、簡単な気持ちでオススメすることは絶対に出来ません」

 そう警鐘を鳴らした南部選手は、自身が実際に体験したエピソードを明かした。

「タイのチームに在籍している時、ビザの期限が迫っていたので、一度隣国のラオスに出国し、手続きを終えてタイに戻ることになったんですけど、チームの方に『現地の警察がついていてくれるから安心だよ』と言われて送り出されたものの、実際に国境に向かうと、担当の警察官が裏でマフィアと繋がっていていることがわかって、案内の代償として、違法薬物の取引を持ちかけられました。もちろん僕は触ることも、購入もせず、幸いなことに大きなトラブルに巻き込まれることもなく済みましたけど、僕は日本との環境の違いに戸惑う場面や、相手を信用できない状況をたくさん乗り越えてきたので、チャレンジを考えている皆さんはそれらを踏まえた上で、慎重に決断すべきなのかなと思います」

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