「あらかじめ神様が選んだご夫婦だった」 黒柳徹子さんが「父さん」「母さん」と呼んで慕った夫婦との思い出
【前後編の後編/前編からの続き】
黒柳徹子さんが上梓した『トットあした』(新潮社)は、出会った人たちの言葉を振り返りながら半生をたどり直した自叙伝だ。同書で紹介された3人の女性にまつわる、今では失われたような豊かで、人間くさくて、明るいエピソードを改めてご本人が語ってくれた。
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〈前編【「私が留守番電話を入れた時間に、向田さんは飛行機事故に…」 黒柳徹子さんが明かす、向田邦子さんとの秘話 今でも作るという「向田さん直伝のレシピ」とは】では、向田邦子さん、文豪森鴎外の息女・森茉莉さんとの心温まる交流について語ってもらった。
続いてこちらは亡くなるまで互いを愛し続けた夫婦の話だ。
あるとき、俳優の森光子さんからこんな話を聞く。
「神様が1枚の紙に組み合わせのいいカップルの名前を何億枚も書いてから、それを二つに破いて地球上にばらまく。人間はその片方の紙を持って生まれて、もう片方の紙を探す旅をする。一度は見つけたと思っても、結局合わないこともある」
黒柳さんは、この夫婦こそ片方の紙を見事に探し当てた二人だと思っている。
俳優・沢村貞子さんと大橋恭彦さんである。黒柳さんは当時渋谷区にあったお宅をたびたび訪ね、それぞれを「母さん」「父さん」と呼ぶほどの間柄になった。〉
「家では父さんの言うことが絶対なんだ!」と驚愕
知り合ったのは、1961年に始まったNHKのテレビドラマ「若い季節」でした。沢村さん手作りの、見るからにおいしそうなお弁当を分けてもらううちに「母さん」と呼ぶようになって、ほどなくお宅にも伺うようになりました。
ご主人の大橋さんは「映画芸術」という雑誌を出版する評論家で、気難しいところもあるんですが、私のことは初対面のときから嫌がらなかったですね。
母さんは歌舞伎の家の出身だけあって、仕事に厳しく、セリフを忘れたり、NGを連発する俳優たちは、母さんの前では小さくなっていたんです。そんな母さんなのに、自宅では父さんに決して逆らいませんでした。自分がNGを出さずにいたのも、他の人のNGに厳しかったのも、早く撮影を終えて、父さんのいる自宅に帰りたいからでした。
父さんは、あだ名通りの「殿」そのもの。ある日、母さんが父さんに命じられて、松葉牡丹をお庭の池の周りに植えたんです。翌日、私が遊びに行くと、父さんが庭を見下ろして「花はまだ咲かんじゃないか」と不満そうなんです。「昨日植えて今日咲くわけないじゃない」って私が言おうと思った瞬間、母さんがしおらしく「どうしたんでしょうね」と言った。私は驚いて、「家では父さんの言うことが絶対なんだ!」って。
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