「あらかじめ神様が選んだご夫婦だった」 黒柳徹子さんが「父さん」「母さん」と呼んで慕った夫婦との思い出

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「日本の男はこんなものかなあと思って(笑)」

 それ以外にも例えば、明日撮影の台本を母さんが開こうとしたら、「そんなもの、見るのよしなさい」って父さんは怒るんです。母さんは「そうですね」なんて言って、そーっとトイレに台本を持ち込んで、自分のセリフを確認していました。まだドラマが、ナマ(生放送)の時代です。

「映画芸術」はハイブロウなんだけど売れなくて、赤字続きでした。母さんの稼ぎで、社員の給料も捻出していました。なのに「そんなもの」なんてね(笑)。

 役者仲間が来て、父さんや母さんと一緒に麻雀卓を囲むこともあったんですが、父さんは負けが込んでくると、すぐ「わしゃやめる」。隣の部屋に行くときに母さんに向かって、「あんたも、もう寝なさい」。

 母さんは料理が上手で、私もよく一緒に食べさせてもらったんですけど、父さんは「おいしいよ」とか決して言わないんです。母さんも別に聞かない。私が父さんに「おいしい?」って聞いたら、「うまいから食ってんだよ」と身もふたもないの。日本の男はこんなものかなあと思って(笑)、「おいしいって言ってあげたらいいのに」と言うと、「食ってんだからうまいに決まってるじゃないか」。そしたら母さんも「うん、そうだよ」。

「私に何も言わないで死んじゃったんだよ」

 母さんは父さんのこと、ほんとうに好きだったんだと思います。背が高くて知的でハンサムで。そして、父さんとの時間を大切にしていました。二人とも前の結婚がうまくいかなかったんだけど、父さんは離婚ができない状態が長く続いていたんです。母さんが還暦を迎えた年に、ようやく正式に夫婦になれました。

 そして81歳になった年に母さんは役者を引退して、父さんの願いで海の見える(神奈川県)葉山へ引っ越しました。その数年後、出会ってから50年目になる95年の出版予定で、これまでの道のりを二人で本にまとめようと、まず父さんが書き始めたんです。ところが体調を崩して入院してしまった。

 母さんは病院でずっと付き添っていたんですが、父さんが気遣って、「家に戻って寝なさい」と言ったんです。「そうしますね」と帰宅したところへ亡くなったという知らせが来た。

 私もすぐに駆け付けたのですが、母さんはつっかえ棒をなくしたようになって、「私に何も言わないで死んじゃったんだよ」と泣きじゃくって……。父さんに言われるまま、自宅に戻ったことを後悔していました。

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