「あらかじめ神様が選んだご夫婦だった」 黒柳徹子さんが「父さん」「母さん」と呼んで慕った夫婦との思い出
「あの世で会ったときに……」
そして、本はもう書けないと言い出したんです。私が母さんに「あの世で父さんに会える?」と聞くと「そりゃ会えるさ」と断言したので、「会ったときに本は出したのかって聞かれたらなんて言う?」と話したら、続きを書く決心をしてくれました。それが『老いの道づれ』という本です。
その続きを書いているとき、母さんは偶然、父さんが遺した原稿を見つけたんです。「別れの言葉」と題されて、「ありがとう」と書いてありました。
「わたしは幸せだった。(略)愚鈍な上に学もない、貧しくて小心な落ちこぼれ人間でしかなかった私が、戦後、無一文のどん底から、なんとか生きのびてこられたのは、唯ひとり、貞子(ていこ)(注・母さんの本名)という心やさしく、聡明な女性にめぐり遭えたからである」。なんて率直な告白! 「おいしいよ」と言わなかった父さんの、深い感謝の言葉でした。
母さんはあんまり感情を表に出す方ではないのですが、このときばかりは「うれしいよ」って手放しで喜んでいましたね。
「こんないい人なのにさ、幸せにならないと悔しいじゃない」
父さんが亡くなって2年後、母さんも体調が思わしくなくなります。亡くなるまでの3週間ほど、私は毎日のように葉山へ通って、ベッドに寝たままの母さんとこれまでのいろんなことを話しました。ある日、私に向かって「きれいね」と言ってくれたんです。「お化粧しているからよ」と返しても、「いや、本当にきれいだよ」って。そして、こう話してくれました。
「あんたにも幸せになってもらいたいのよ。こんないい人なのにさ、幸せにならないと悔しいじゃない」
いま思い返しても、本当にあらかじめ神様が選んで、お互いをきちんと見つけたようなご夫婦でした。
〈永六輔さんは、こう言っている。
「死者を覚えている人がいる限り、その人の心の中で生き続けている。最後の死は、死者を覚えている人が誰もいなくなったとき」(『永六輔のお話し供養』)
黒柳さんも、『トットあした』を通じて、誰かが彼らのことを記憶にとどめてくれたら、と願っている。〉
前編【「私が留守番電話を入れた時間に、向田さんは飛行機事故に…」 黒柳徹子さんが明かす、向田邦子さんとの秘話 今でも作るという「向田さん直伝のレシピ」とは】では、向田邦子さん、文豪森鴎外の息女・森茉莉さんとの心温まる交流について語ってもらっている。
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