「私が留守番電話を入れた時間に、向田さんは飛行機事故に…」 黒柳徹子さんが明かす、向田邦子さんとの秘話 今でも作るという「向田さん直伝のレシピ」とは

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向田さんに教わったレシピ

 向田さんにはおいしい手料理をたくさんごちそうになりました。実はそのとき教わったレシピで料理することが、今でもあります。簡単なものばかりですけどね。

 一つは、さやいんげんのショウガ和え。塩を少し入れてゆでたさやいんげんの上に、すりおろしたショウガをまぶして、お醤油を少し垂らして食べる。ご飯が進むんです。

 もう一つは“魔法の油”。火にかけたオイルにニンニクやショウガやなんかをすりおろして入れるんです。そうやって香りや味をしみ込ませた油を瓶に入れて冷蔵庫に保存しておく。それをラーメンを食べるときに何滴か入れると、中華料理の名店みたいな味になるんです。

 教わったお料理を食べると、パアーッと向田さんの記憶がよみがえります。

〈料理を作るというより、健啖家という共通点で仲良くなったのが、文豪森鴎外の息女・森茉莉さんである。泉鏡花文学賞に輝いた『甘い蜜の部屋』などの文芸作品を発表する一方、本誌(「週刊新潮」)では辛辣(しんらつ)なテレビ評「ドッキリチャンネル」を79年から85年まで執筆した。

 元々、三島由紀夫から森さんの作品に対する激賞を聞いていたという黒柳さんだが、実際の森さんと顔を合わせたのはあるパーティー。「ドッキリチャンネル」の連載が始まった頃のことで、黒柳さんによると「一瞬で、友達になった」という。その2次会ではオムライスやビーフシチューなどを「女学生みたいに、半分こしたり」して山ほど平らげた。その夜、黒柳さんが車で森さんのアパートまで送っていくと、「ね、2分だけ、お寄りにならない?」と誘われて……。〉

ゴキブリが5~6匹現れて……

 そのアパートがものすごくてね(笑)。階段で2階に上がった突き当りの部屋でしたが、玄関には出前で取った丼とか、ざるとかが、よく崩れないなあという感じで、いくつも重ねてありました。部屋に入って明かりをつけると、今度はゴキブリが5~6匹物陰に逃げていった。私、自分の家だったら、悲鳴を上げるのに、ここで騒ぐのは失礼だと思って黙っていました。

 部屋の中も出前の丼や、新聞や雑誌が積み重なっていて、そのすき間を抜けた先の3畳ほどの部屋にテーブルがあって、そこの椅子に向かい合って座りました。森さんが「何かお飲みになる?」と聞いてくださって、自分の椅子をグワーッて動かすと、後ろに冷蔵庫が現れて、コーラを取り出したんです。部屋がいっぱいで、冷蔵庫なんて見えていなかったから驚きました(笑)。

 コーラを飲もうにもコップが見つからない。それで森さんが隣の部屋に探しに行ってくれたのですが、襖が開いたときに見えたその部屋にも新聞・雑誌が天井まで積み上がっていました。すごく狭い“けもの道”の向こうに、物が大量に置かれたベッドらしきものとテレビが見えたから、ああ、ここでテレビを見て、「ドッキリチャンネル」を書いているんだなって。

 探してきてくれたコップを台所で洗いましたが、シンクには半分ぐらい水が入ったアルミの鍋が置いてあるだけ。さっきの2次会でグラタンを食べながら、「私が作るときにはこういう器じゃなくて」なんて、ヨーロッパの貴族が使うような豪華な食器の話をなさっていたけど、料理をした形跡さえありませんでした。不思議と匂いのしない部屋でした。

 でも、そのコップでしたコーラの乾杯ほどぜいたくな乾杯は後にも先にも経験がない、と思います。

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