「フロムA」の発売日には“電話ボックス”に長い行列が…スマホ世代には伝わらない「テレホンカード」と「公衆電話」が必需品だった時代を振り返る

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 今や滅多に見かけなくなった公衆電話。災害などで大規模停電が起きた際、数少ない公衆電話で連絡を取ろうとする人々の姿も見られた。一方、携帯電話・スマホしか接したことがない若者は「受話器を外したうえで硬貨かテレホンカードを挿入する」という基本的な使い方すら分からない人が多いという。

 日刊工業新聞社の2024年6月6日の記事によると、2025年3月末の一般公衆電話は前年同月比11.2%減の9万7933台になる見通しとのことで、2000年3月末の約73万台からおよそ9割減、13.4%まで数を減らしている。現在の公衆電話は、災害時や緊急事態の発生を念頭に置いた「万一の備え」のための設置だろう。いまや風前の灯である公衆電話とテレホンカードをめぐって、ここでは1990年代前半の携帯電話普及前夜の光景を振り返ってみたい。公衆電話とテレホンカードには、意外とナイスで感傷的な思い出が多いのだ。【中川淳一郎/ネットニュース編集者】

テレホンカードを握って長い行列が

 電話かけるという行為は、携帯電話普及前までは、かなりハードルが高かった。特に、恋愛関係の相手にかける場合である。家の電話は主に両親が使うため、なかなかおいそれと使えない。そして、愛する人に電話をすると、相手の父親や母親が出ることが多く、頼んで本人に代わってもらわなければならない。そして、コードレスフォンもあるものの、電波が悪く、たいてい家族がくつろぐリビングルームにある親機で、相手と話さなければならないのだ。これでは会話の内容も親に筒抜けである。

 そうした不都合を解消すべく、多くの人間が使ったのが公衆電話だ。夏は暑く、冬は寒い中、わざわざテレホンカードを握りしめ、意を決して電話ボックスに入り、「親トラップ」を避けて会話を楽しむのである。しかし、テレホンカード登場以前は、10円玉を大量に用意する必要があり、愛の囁き以前に、10円玉投入のことばかり考えるようになる。何しろ10円玉は市外局番の場合はバンバン減っていくのである。

 そして、「50度数(500円分)」のテレホンカードが普及すると「10円電話」といった言葉は死語になっていく。誰もがテレホンカードを使って10円玉投入のストレスを回避し、快適な通話が可能になった。

 そんな状況になったのだが、1993年に大学に入学した私は、テレホンカードを含めた公衆電話の洗礼を浴びることとなる。何しろ混んでいるのだ! いつでも電話ができる今では考えられないだろうが、電話ボックスに行列があった。

 それは、恋人との熱いラブトークもあれば、「フロムA」などアルバイト情報雑誌が発売された日にも発生した。この手の雑誌には「おいしい仕事」が掲載されており、応募したいものの自宅に電話がない者・寮生活の大学生は公衆電話に殺到したのである!

 自転車で様々な近隣の公衆電話を探すも、どこも行列ができていたため、「ここで並ぶか……」と考えた者がテレホンカードを握りしめて順番を待つ。コレが平成初期の電話を巡る光景だったのである。さらには、企業のイベントやら記者発表でも来賓やメディアに対し記念品としてテレホンカードが提供されたのだ。

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