「デコトラが警察に目をつけられ、逮捕者も…」 大ヒットした「トラック野郎」終焉の理由とは 「興行的にも下火になり“もういいんじゃないか”と」
【前後編の後編/前編からの続き】
1975年8月に公開された一本の映画が、思いがけず驚異の大ヒット。「トラック野郎」はすかさずシリーズ化され、79年までに計10作品が製作された。第1作から50年を経た現在でも熱烈なファンの多い“国宝級”名画の舞台裏を、ゆかりの深い面々が振り返る。
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前編【“そろそろヤクザも限界かな” 「トラック野郎」に菅原文太が出演を決めた秘話 ワンシーンに出演した宇崎竜童は「出演料をもらったのかどうかもよく分かんない」】では、「トラック野郎」誕生秘話について、当時宣伝を担当していた、元東映宣伝部長の福永邦昭(85)、テーマ曲を作曲し出演も果たした宇崎竜童(79)の証言を紹介した。
島田陽子、由美かおる、片平なぎさ、夏目雅子……と、毎回登場するマドンナも、「トラック野郎」の目玉。1作目の思いがけない大成功を受けて作られることになった2作目「トラック野郎 爆走一番星」のマドンナは、あべ静江(73)に白羽の矢が立った。「コーヒーショップで」や「みずいろの手紙」といった楽曲がヒットした直後である。
福永が言う。
「東映の関係者はみんなアイドルの世界に縁がないのですが、あべさんと仲が良かったキンキンが推薦したんです。あべさんの出演が決まったとき、あべさん、キンキン、文太さんと私の4人で飲んだことがあります。文ちゃんがよく行く西麻布の店で、一番高いブランデーをね。すると、あべさんがすごい酒豪なんですよ。みんなで送るから、なんて言っていたのに、帰りのタクシーの中で文太さんは寝ちゃって。あべさんは大笑いしていましたよ」
「ほとんど同時に『男はつらいよ』からもオファーが……」
あべ本人は、驚くべき裏事情を明かす。
「後で知ったことなんですが、実はほとんど同時に『男はつらいよ』からのオファーもあったそうなんです。普通だったら寅さんを取るはずなんですけど、うちのスタッフがみんな深作監督のファンだったんですよ。彼らのなかでは、東映の仕事というだけで、深作さんと会えると思ったのかもしれませんね。たしかに撮影現場では、俳優陣にしてもスタッフにしても、危険な匂いのする人たちが肩で風を切って歩いてるみたいな感じでした。だから『仁義なき戦い』のような空気はずいぶんと味わえたと思います」
あべはこの撮影現場で、ゲスト出演した田中邦衛のことが忘れられないという。田中は、元警察官の愛川にいじめられた過去があるという設定で、白いスーツで決めたキザなトラック野郎“ボルサリーノ2”を演じていた。あべが働く食堂で、文太と田中が大乱闘を繰り広げるシーンについて、こう言う。
「とにかくすごい存在感、迫力でした。現場にいる人たちもみんな食い入るように見ていましたよ。内臓から引きずり出したような言葉でね。あれから50年たっても、あの空気感はほかでは味わったことがありません。名優とは、こういう人のことを言うんだと思いました」(同)
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