バーン、バーンと僕を叩く母の顔は、般若のお面のようでした…【毒母に人生を破壊された息子たち】「毎晩、天井を見て、泣きながら眠っていた」

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ひとたび、母が般若になれば

 幼い井川さんを震え上がらせたのは、父の暴力だけではなかった。記憶にある母はいつも、苛ついていた。

「幼少期の母親の記憶って、ほぼ、ないんです。遊んでもらったことも会話したことも、ハグしてもらったことも、母親に対する記憶が皆無なのです。僕が1歳半の時、双子が生まれたので、ほったらかしだったのかなー」

 記憶にある母親は、とにかく厳しかった。すぐヒステリックになり、激怒する。一旦、タガが外れると、もう止めらない。

「ヒステリックになった時の、顔が怖かった。般若のお面みたいになるんです。その顔でバーン、バーンって叩くから、痛いし、怖いし、ガタガタ震えていました。突然、豹変するんです。成績が悪いとか、妹をいじめたとか、何かのきっかけでスイッチが入る。それはもう、いつもの母親ではない。いくら泣き叫んでも、謝っても許してもらえない。僕は引っ叩かれて怒鳴られるのを、耐え続けるしかない。嵐が過ぎ去るのを、待つしかないんです」

泣きながら寝ていた

 今、思い出そうとしても、何で、ここまでの仕打ちに遭うのかがわからない。一つだけ、理由がわかる出来事があるが、それが唯一の幼稚園の思い出だ。

「幼稚園の発表会で、みんな、ハーモニカを吹いているのに、僕だけが吹いてなくて、家に帰ってから、ものすごく怒られたんです。母親が般若になって、“今すぐ、ここでやれ!”って引っ叩かれて」

 幼稚園の頃からずっと、井川さんは毎日、泣きながら寝ていた。

「夜、天井のオレンジの豆電球を見ながら泣いていました。しくしく、涙を流して。なんでここまで理不尽に怒られ、叩かれないといけないのか。こんなに叩かれるほど、僕、悪いことをしたのかなーって。その分からなさ、理不尽さに泣いていました。悔しくて、悲しくて。これが、僕の幼稚園から小学校の記憶です」

 【後編】では、井川さんのその後の人生について詳述する。伴侶を得、子どもも生まれたものの、なぜ彼は毎日、「死」を願っているのか。

黒川祥子(くろかわ・しょうこ)
ノンフィクション・ライター。福島県生まれ。東京女子大学卒業後、専門紙記者、タウン誌記者を経て独立。家族や子ども、教育を主たるテーマに取材を続ける。著書『誕生日を知らない女の子』で開高健ノンフィクション賞を受賞。他に『PTA不要論』『8050問題 中高年ひきこもり、7つの家族の再生物語』『シングルマザー、その後』など。最新刊に『母と娘。それでも生きることにした』。雑誌記事も多数。

デイリー新潮編集部

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