バーン、バーンと僕を叩く母の顔は、般若のお面のようでした…【毒母に人生を破壊された息子たち】「毎晩、天井を見て、泣きながら眠っていた」
殺される!
井川さんは1974年生まれ、父が25歳、母が22歳での第一子だ。1歳半下に双子の妹がいる、一家5人の核家族で育った。
だが、その家庭は、「安心」とは程遠いものだった。
「父親からものすごい暴力を受けていて、本当に怖かった。父は精神的に不安定な人で、すごく怒りっぽく、叩くわ、睨むわ、脅すわ。目が行っちゃって、ヤクザみたいな目をしていて、マジで法律とか道徳とかを軽く越えちゃうんだろうなという、狂気を纏っている。子どもだから一線は越えないだろうというのはなく、“うう、殺される……”って何度思ったか」
父親は会社員だったが、上司や先輩と喧嘩をして、会社を辞めるのが常態化、専業主婦の母親はいつも、生活費のやりくりにビクビクしていた。
「ただ父方祖父が持っているマンションに住んでいたので、家賃はタダ同然。それで何とか、やっていけたと母親は言っていました。まともに、ボーナスをもらったこともなかったと」
歪んだ愛
父方の親族によれば、父は4人きょうだいの末子で、出産後、実母が死亡し、継母に育てられた。継母は父以外の子どもを徹底的にいじめ抜き、継母に唯一可愛がられた子どもとはいえ、兄や姉がいじめられるのを見て井川さんの父は育つこととなる。井川さんは父の生い立ちを、こう見ている。
「長女は家出、次女は自殺未遂。どれだけ、継母に徹底的にいじめられたのか。一方の父は多分、継母から歪んだ愛を受けたのではないかと思います」
なぜ、父と母は結婚したのか。父は1947年、母は1949年生まれの戦後世代、恋愛結婚だ。その経緯を、母から聞いている。
「弁当屋のバイトで、出会ったそうです。父はものすごく暗い雰囲気で、人生に絶望しきっているようだった。一方、母はものすごくモテて、学歴もあったし、大企業のサラリーマンから求婚されたらしいけど、それを断って、うだつの上がらない父に決めた。かわいそうだったから。自分が助けてあげないと、って」
母親の生い立ちも複雑だった。
「祖父が結構、浮気をしていて、祖母は、夫への怒りと不満を娘にぶつけていた。祖母の愚痴を幼い頃から聞かされて育ち、8歳下の弟の面倒もよく見ていた」
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