【べらぼう】田沼に責任を負わせて日本は衰退? 「天明の打ちこわし」から得られる重い教訓
米を売り惜しむ商人が後を絶たず
NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』の第33回(8月31日放送)のサブタイトルは「打壊演太女功徳(うちこわしえんためのくどく)」。新之助(井之脇海)らが米を買い占めている商人の居宅などを襲う。いわゆる「打ちこわし」が主題になる、ということである。
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第32回「新之助の義」(8月24日放送)では、米不足が行くところまでいった様子が描かれた。庶民は幕府に御救い米、つまり困窮した庶民を救済するための米を出すように求めたが、結局、幕府は米を手配できない。こうして、ついに将軍の御膝元の江戸で打ちこわしが起こってしまう。
それまでも幕府は、手をこまねいていたわけではない。江戸で米価を引き下げるように命じた。全国の譜代大名の居城に備蓄された「城詰米」のうち、飢饉の被害が小さい近畿、中国、九州の大名のものを江戸に回送するようにも命じた。町奉行所は、江戸市中の米問屋の米倉について見分を繰り返し、米を隠さずに売り出すように圧力をかけた。さらには「米穀売買勝手令」を時限的に発布した。米の販売と流通にかかわる業者を制限するのを一時的に解除し、問屋を通さずにだれでも売れるようにしたのだ。
しかし、効果はかなり限定的に終わった。なにしろ、江戸時代の三大飢饉のなかでも被害が最大で、90万人以上が餓死したという天明の大飢饉の真っただ中だ。天明6年(1786)には風水害の影響が全国におよび、米の収穫高は全国平均で平年の3分の1にまで落ち込んだといわれる。そんなときこそ、米を買い占めて売り惜しむ商人が後を絶たなかったから、庶民の不満が頂点に達し、ついに爆発することになった。
ところで、「天明の打ちこわし」が起きた当時の状況は、いまのニッポンのご時世と重ねたとき、なにかと示唆的である。
江戸だけで500以上の商家が襲われた
打ちこわしは天明7年(1787)5月、まず大坂で発生した。米を買い占めていると思われる商人の居宅などが次々とねらわれ、その動きはまたたく間に大坂中に拡大。人々は店舗を破壊し、商品から金銭、帳面までを、次々と川へ放り投げた。この動きが関西全域に飛び火したのち、中国、九州、北陸、東海、関東、東北、四国へと波及していった。
そのころ江戸では、困窮して隅田川に身投げする人が急増したと記録されている。すでに小さな打ちこわしは時々発生していたが、ついに5月20日、大規模な打ちこわしが起きてしまった。これが『べらぼう』で新之助らが起こす打ちこわしである。
最初に赤坂の米屋など20~30軒が打ちこわされた。その後は歯止めが利かなくなり、江戸中で打ちこわしが荒れ狂って、500を超える商家が被害に遭ったという。参加した人々は口々に「米の値段を下げて世の中を救うためだ」「米を買い占め売り惜しんだ者は人々の苦しみを思い知れ」などと、大声で叫んでいたと記録されている。
いまのニッポンも、止まらない物価高に人々は疲弊し、怒りを溜めている。多少収まってきたとはいえ、米価の急騰も庶民の家計を直撃した。そして、怒りの矛先は政治へと向かっていく。だが、そういうときこそ冷静にならないと、怒りをぶつける相手をまちがって、自分の足を掬ってしまうことにもなりかねない。
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