「松崎しげる」大ケガで面会謝絶の病室を訪れた「盟友であり名優」…「森繁久彌にアドリブで返せる男」として売れた大親友

  • ブックマーク

 夕刊紙・日刊ゲンダイで数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけているコラムニストの峯田淳さん。これまでの取材データから、俳優、歌手、タレント、芸人……第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返る「人生を変えた『あの人』のひと言」。第31回は俳優の西田敏行さんと歌手・松崎しげるさんの素敵すぎる関係に迫ります。

あらゆる作品に出演

 西田敏行は出演作品が飛び抜けて多い俳優である。本人自ら「よくもこんなに膨大な作品で、毎度異なる人物を演じてきたもんだと、我が事ながら驚き、呆然とするくらいです」と、著書『役者人生、泣き笑い』(河出書房新社)で語っている。

 連続ドラマを振り返ると、主演やメインどころを演じた作品では共に日本テレビ系の「西遊記」(1978年)、「池中玄太80キロ」(1980年~)。近年ではテレビ朝日系の「ドクターX~外科医・大門未知子」(2012年~)があり、大河ドラマは14本に出演して豊臣秀吉、西郷隆盛ら歴史上の重要人物を演じた。

 そして三國連太郎と組んだ映画「釣りバカ日誌」は、22本を数えるロングシリーズとなった。

 歌手としてもシングルを25枚リリース。「もしもピアノが弾けたなら」(1981年)などのヒット曲に恵まれ、紅白歌合戦にも4回出場している。

 これだけマルチに活躍していると、1年前に76歳で急逝した際は何を取り上げようかとメディアも迷ったに違いない。

 そんな中で、もれなく報道されたのは西田と親しい仲間4人による「五人会」だった。残りの4人は松崎しげる(75)、柴俊夫(78)、田中健(74)、志垣太郎(22年没、享年70)。

「五人会」の始まりは松崎と柴だった。同じ下町出身、野球少年だった2人はたまたま同じモデル事務所に所属したのが縁で知り合う。先に売れた柴が松崎を地元の上野・浅草だけでなく銀座、赤坂、六本木へと連れ回した。西田とは、柴が主演したドラマ「新・坊っちゃん」(75年、NHK)で共演し、六本木で弾き語りをやっていた松崎には柴が引き合わせた。さらに、すでに売れっ子だった志垣、歌手から俳優を目指していた田中を紹介し、5人でつるむようになった。

 金主は先に売れた柴と志垣。当初の「五人会」は、この2人に完全におんぶにだっこだったそうだ。

次ページ:松崎とブレイクのきっかけをつかむ

前へ 1 2 3 次へ

[1/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。