「松崎しげる」大ケガで面会謝絶の病室を訪れた「盟友であり名優」…「森繁久彌にアドリブで返せる男」として売れた大親友
松崎とブレイクのきっかけをつかむ
西田にとって決定的だったのは、やはり松崎との出会いだ。
「うまい役者になるな。見事な役者にもなるな。面白味のある役者でいろ」
青年座時代、先輩劇団員にこう薫陶を受けた西田は、松崎と六本木で大真面目に遊んだ。そのうち「六本木で即興ソングを歌うおかしな二人組がいる」と評判になり、それがTBSディレクターの目に留まった。2人はTBSのバラエティー「ハッスル銀座」で話題になり、ブレイクのきっかけを掴む。
同時期、西田はTBSドラマ「三男三女婿一匹」に出演し、森繁久弥に出会う。森繁は「新・坊っちゃん」を見て、面白い役者がいると思ったそうで、西田に白羽の矢を立てた。西田は初対面で「アドリブ大王」と呼ばれた森繁が舌を巻くほどのアドリブを打ち返した。
松崎はこの頃のことを「死ぬまでにやりたいこれだけのこと」という、日刊ゲンダイのインタビューでこんな風に語っている。
「お互いに売れる前から一緒に六本木で弾き語りしたギャラで豪遊し、77年にボクが『愛のメモリー』を出してヒット、西やんは『森繁久弥にアドリブで返せる男』として売れた大親友です」
西田にとっても松崎にとっても、70年代半ばに、その後の芸能生活の道筋は決まったといっていい。
「五人会」の中でも、この二人の結びつきは特別だった。そんな2人を象徴する後年の出来事がある。
01年、松崎がモンゴルで、再起不能ではないかといわれたほどの落馬事故に見舞われた。夕日に向かうシーンで馬が暴走。松崎はパチンコ玉のように吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。その時点で意識がなく、尾てい骨に3つある骨が割れ、首もケガしてピクリとも動けなかったそうだ。
それでもどうにか日本に移送され、入院した松崎は絶対安静の状態が続いた。用便もままならず、ベッドに横になったままで面会謝絶。ちょうどニューヨークの同時多発テロが起き、寝たままテレビを見て「俺は急死に一生を得た」と、しみじみ思ったそうだ。
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