「ナンペイ事件」から30年目の夏…特捜本部が最後の望みをかける7点に絞られた「有力な物証」

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30年目の夏

「女子高生が2人も射殺されたらしい。ほかにもガイシャ(被害者)がいるようだからすぐ現場に行ってくれ」

 電話口でそう告げられたのは1995年7月30日の夜。当時は不動産会社EIEインターナショナルへの不正融資を巡る二信組事件と、地下鉄サリンなど一連のオウム真理教事件捜査の真最中で、各マスコミの事件記者は、日々取材に忙殺されていた。

 そんな時に起きたのが、重大未解決事件の「八王子スーパー殺人事件」だった。八王子市のスーパー「ナンペイ」で、アルバイトの女子高生2人とパートの女性が頭を拳銃で撃ち抜かれるという、日本の犯罪史上例を見ない凶悪事件である(以下「ナンペイ事件」)。

 当時の筆者は、記者としての経歴はまだ短かったが、金丸信・元自民党副総裁の巨額脱税事件などの取材を経験し、事件記者の仲間入りを果たした気分になっていた。一連のオウム事件では、教祖の洗脳下にあった10人超の犯人たちが、自身の犯した事件の重大性に反して、罪の意識が希薄であることに違和感を覚えながら取材にあたった。

 それに比べ「ナンペイ事件」は、極めて冷徹かつ明確な殺意がひしひしと感じられる凶行だったこともあり、経験したことのない戦慄を覚えた。被害者たちがいた事務室内にあった金庫に向けても発砲していたことから、強盗殺人事件として捜査は始まったが、八王子は大きな街とはいえ都心から40キロも離れた郊外の都市。さらに現場は、市の中心部からは遠い住宅街の一角だった。

 惨劇の舞台となった事務室があった店舗もこぢんまりしたもので、3人を問答無用に射殺するリスクに見合う大金があるとは思えなかった。また、手足を縛られ抵抗出来ない女子高生をあっさり射殺した理由も皆目、見当がつかなかった。

 あれから30年が経過したこの夏、久しぶりに現場を訪ねた。

 記録的暑さの中、事件翌日からの聞き込み取材も炎天下だったことを思い出した。周囲の住宅街はほとんど変わりがない印象だったが、ナンペイの建物も来客用駐車場も、銃声をかき消してしまった盆踊りが行われていた公園も、全て月極駐車場へと様変わり。事件の記憶を留めるものは完全に消え去り、「求む情報!」「覚えていますね」と呼びかける立て看板のみが立っていた。

 その来客用駐車場への出入りが確認された、外車の所有者である暴力団関係者は事件後間もなく無関係と判明。不審な車が犯行時間帯に出ていくのが目撃された近くの駐車場にはいつの間にか建材店が建てられ、第1発見者の男性は既に鬼籍に入ってしまっていた。

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