「決死隊の先頭で壮烈な戦死を遂げた」と美談かのように報道 戦争に奪われた“幻のスプリンター”の無念(小林信也)

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 鈴木聞多(ぶんた)と聞いてすぐピンとくる読者は残念ながら少ないだろう。

 本来なら、“暁の超特急”と呼ばれた吉岡隆徳の後継者として、日本のスプリンター列伝にその名を刻むはずだった陸上男子100メートルの星。ところが彼の競技人生は、戦争によって、志半ばにして奪われた。

 鈴木聞多がどれほど期待される選手だったか、1936年4月21日の朝日新聞に掲載された《オリムピック我が選手 くろず・あつぷ》と題するコラムを読めば明らかだ。

〈五尺七寸十六貫、日本のスプリンターとしては大きい方で年は二十四歳、今年度の慶應競走部の主将である。...

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