陸上100mでアジア人初「9秒台」を“表示”した「伊東浩司」 指導者として花開いた第二の人生(小林信也)
最初の挫折は、1992年バルセロナ五輪だった。代表に選ばれ意気揚々と日の丸をつけてスペインに渡った。ところが、レース前にリレーメンバーから外された。オリンピックで走れない喪失感が伊東浩司を苦しめた。
「同じ仕打ちを受けないためには、何かを変えなければと思いました」
伊東が振り返る。
「それで、多くの選手が指導を受けていた鳥取の小山裕史(やすし)さんを訪ねました」
小山はトレーニング施設ワールドウィングを主宰し、後にイチロー選手の指導でも広く知られた肉体改造のカリスマ的存在。...