「渡辺謙の億単位の借金をすべて整理」 コワモテで鳴らしたケイダッシュ・川村会長の素顔【追悼】
渡辺謙を後押し
コワモテで鳴らす一方、ほれ込んだタレントはとことんサポートした。93年に立ち上げた自身の事務所ケイダッシュで坂口憲二や伊原剛志などの俳優を育て、中でも渡辺謙とは特に深い関係を築くことになった。先の旧友が語る。
「最初に渡辺の面倒を見ると川村さんが言い出した時は、思わず止めました。2001年当時、渡辺は妻の多額借金報道の渦中にあり、さらに白血病を患っていたこともあったからです。それでも川村さんは“本当に良い俳優だと思う”と言って、彼の抱える億単位の借金を全て整理してしまったのです」
感動した渡辺は「そんなつもりじゃない」と拒む川村氏に当時の事務所の社長同席で頼み込み、ケイダッシュに移籍したという。さらに渡辺の起死回生のきっかけもつくった。
「ハリウッドから『ラストサムライ』のオファーが来た時、渡辺は構想がピンとこず断ろうとしたのです。それを川村さんが“ギャラも良いし、何よりトム・クルーズが主演なら絶対やった方がいい”と出演を決めさせました。その後、多くのオファーが海外から舞い込む中で『バットマン』を選んだのも川村さんでした。渡辺は世界的知名度を得る機会を与えてくれたことに深い恩義を感じており、毎年1月に行われる川村さんの誕生日会では、その傍らに立ちっぱなしで食事に手を付けず、関係者へのあいさつに当たっていました」(同)
そんな渡辺を川村氏も「理想的な俳優」だと尊敬しており、23年の独立後も親交は続いたという。
川村氏と親しかった、生島ヒロシ氏(74)が言う。
「月に1~2回、お茶をごちそうになっていました。雑談の中ではとりわけ渡辺謙さんを褒めちぎる話題が多く、それだけ敬意を持っていたのでしょう。彼の活躍が励みになるのか“90歳までは頑張らないとな”とよく言っていました。足の調子が悪くなってからは大好きな競馬も控えていたようですが、まだまだ意気軒昂だったと思います」
「二人が並ぶ貴重な写真が残せた」
先の記者いわく昔からの“電話魔”ぶりも健在で「この番組は良いね」などと用もなくあちこちに電話していたという。昨年からは業界の盟友・周防氏のバーニングで取締役に復帰もしていた。郁雄氏の息子で現代表の彰悟氏が語る。
「亡くなる2週間ほど前、父と外出した先がケイダッシュの事務所と近く、せっかくだからと訪ねました。川村さんは“足が攣(つ)るんだよ”と健康の話をしながらも、お元気そうでしたね。私が“この機会に父とツーショットでも”と勧めると喜んで承諾してくれ、満面の笑みで二人が並ぶ貴重な写真が残せました。その矢先のことで、本当に残念でなりません」
前出の講義では〈ある意味いかがわしいエネルギーを、どうクリエイティビティーに変換するか〉がケイダッシュグループのマネジメントの基本だと語っていた川村氏。陰に陽に芸能界をけん引し、波乱に満ちた生涯だった。




