「渡辺謙の億単位の借金をすべて整理」 コワモテで鳴らしたケイダッシュ・川村会長の素顔【追悼】

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 渡辺謙(65)を世界的俳優に導くなどの辣腕(らつわん)ぶりで知られた、大手芸能事務所「ケイダッシュ」の川村龍夫会長が7月30日、出張先の京都で帰らぬ人となった(享年84)。昭和の芸能界から一代で身を起こし、重鎮として畏れられた名物会長の素顔を近しい人々が明かす。

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「ケイダッシュ」といえば俳優の高橋克典(60)やタレントの堺正章(79)を擁する、業界でも指折りの芸能事務所である。お笑いコンビのオードリーが所属する「ケイダッシュステージ」やモデル事務所など複数の関連会社を抱える大所帯なだけに、その“ドン”の急逝には芸能関係者も驚きを隠せない。

「川村会長は京都の祇園で旧知の友人たちと定期的に会合を開いており、29日にもそれに参加していました。10年以上前に大腸がんを患った川村会長は、いつもならお酒を飲んでも最初の一杯程度でしたが、この日はよほど楽しかったのか珍しくシャンパンなどで杯を重ねていたそうです。そして翌朝、ホテルのロビーに降りてこないので部屋を訪ねると、そこで亡くなっていた」

「不思議と悲愴感はなかった」

 検死で事件性はないと分かった後、8月1日には遺体が自宅に運びこまれたという。弔問に出向いた旧友の一人が語る。

「おしゃれな川村さんらしく、濃紺の背広にストライプ柄のワイシャツ、ネクタイまで締めたお姿でした。奥さんは“最後に楽しく飲んで、おいしいものを食べて逝ったのだから大往生ですよね”と気丈に振る舞っておられました」

 弔問にはケイダッシュ所属の俳優らに加え、田辺エージェンシーの田邊昭知会長(86)、バーニング創業者の周防郁雄氏(84)といった大御所たちも訪れていた。

「今にも起き上がりそうな川村さんの顔を見て“芸能界で大成功して、良い家庭を築いて、本当に幸せな人生だったよね”と他の弔問客と言い合いました。その場にそろっていた川村さんのご長男や2人の娘さん、お孫さんたちにも、不思議と悲愴感はありませんでした」(同)

“知り合いの暴力団員は何をやるか分からんからな”

 芸能界と添い遂げるかのようだったという川村氏のキャリアは、立教大学在学中、高校の同級生だったシンガー・鹿内孝に誘われる形でマネージャー業に就いたことから始まる。「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」を早々に日本レコード大賞を取るまでに育て上げ頭角を現した川村氏は、1970年代、研ナオコやタモリを売り出し勢いに乗っていた田辺エージェンシーに合流すると、副社長として辣腕を振るうようになる。後に京都大学経営管理大学院の講義に登壇し語っていた、この時の仕事ぶりを要約して引くと、

〈「笑っていいとも!」の番組企画は田邊さん、ギャラの交渉は私がやりました。お金の交渉は大変な作業です……ドラマならフジの制作費が1本4000万円で、うち30%が全タレントのギャラの総額になる。番組数も限られており、タレントが食べていくのは至難の業です。昔なら売れっ子を出すからこの俳優も出せと若手を売り込めました〉

 田邊氏の番頭として活躍した川村氏は、高校の同級生だった周防氏率いるバーニングでも取締役を務めるようになり、芸能界では怖いものなしの存在になっていく。ベテラン芸能記者が言う。

「85年、映画の配給収入を巡ってもめていた制作会社社長を川村氏が“駅のホームじゃ気を付けろ。知り合いの暴力団員は何をやるか分からんからな”と脅したことを毎日新聞が報じました。川村氏は名誉毀損だと毎日を訴えましたが“記事内容は妥当”として地裁に棄却されています」

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