「先輩からシバかれてしんどいか知らんけど…」 退任発表の広陵・中井監督の素顔 「ケツバットもあった」 OBが明かす

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就任翌年の選抜大会で優勝

 85年に社会科教諭として母校に着任した後は、

「コーチとして私を支えてくれました。そして数年後、ある程度チームを強くしてから中井へバトンタッチしました。次の指導者を選ぶ際は、野球部の伝統を受け継いでいかなくてはならないというのが私の持論。彼は高校時代良い選手でしたが、良いコーチとしてチームに貢献するようになってから監督に就かせるべきだと考えていたのです」(松元氏)

 実際に就任翌年、91年の選抜大会で広陵は見事、65年ぶりの全国優勝を遂げている。続けて、

「奥さんはもともと地元のテレビ局で仕事をしていた人で、中井が監督になってから間もなくして結婚しました。その後も中井は元巨人の西村健太朗やソフトバンクの有原航平らを育てています。こうした手腕が認められ、長らく監督を続けているのだと思います」(同)

「先輩からどれだけシバかれてしんどい思いしているか知らんけれど……」

 一方で松元氏に今回の不祥事について尋ねると、

「昔の中井ならいざ知らず、今は暴力などあり得ないと思います。ただし、現在も150人以上が寮生活を送っていると聞いています。ある程度、規則を厳しくしなければ部はまとまらなくなるでしょう」

 実際に91年3月に卒業した元部員の父が言うには、

「中井監督は、怒ったり褒めたりのメリハリがある方でした。練習中に生徒がミスをするととにかく怒り、延々とノックを受けさせていた。当時は監督も若かったから“ケツバット”もありましたし、練習中に水を飲んだ子も怒鳴られていました」

 その3年後に卒業した元部員も、こう明かすのだ。

「私たちの代は、事あるごとに『広陵始まって以来の弱小チーム』と中井監督から言われており、特に厳しく指導されました。監督は当時、寮に週2~3日寝泊まりしていて、スリッパで廊下を歩く独特の足音を聞くと『今夜は泊まるんだ』と恐れたものです。私自身、複数の上級生に暴力を受けましたが、ある時、監督は『お前ら、先輩からどれだけシバかれてしんどい思いしているか知らんけれど、ワシらの時はこんなもんじゃなかった』と漏らしたことがあります。そういう試練に耐えて若くして監督に就き、そのまま広陵の“伝統”を継承していったのでしょう」

 後編【「暴力・体罰の禁止」を無視する悪循環が… なぜ高校野球の体質はいつまでも変わらないのか】では、高校野球の体質が令和になっても大きく変わらない理由について報じる。

週刊新潮 2025年8月28日号掲載

特集「前代未聞の出場辞退、初めて明かされる 広陵高校『中井王国』の光と影」より

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