「先輩からシバかれてしんどいか知らんけど…」 退任発表の広陵・中井監督の素顔 「ケツバットもあった」 OBが明かす

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監督とその息子による暴力

 元生徒はその後、再び寮を脱走し、転校を決意。4月から別の高校に通い始めたものの、学校や加害者側からの謝罪もなく、県警に被害届を提出したという。

「これらの投稿がネット上で拡散され、事実の公開などを求めるオンライン署名も始まった。8月に入ると、事案に関与したとみられる部員らの実名など個人情報が別のアカウントでさらされていったのです」(前出のデスク)

 さらに、

「7日に拡散した元部員による実名告発でも、今大会に出場した3年生の主力メンバーらの実名が加害者として挙げられています。熱湯をかけられたり性器を触られたりしたといった内容で、こちらも県警に被害届が出されているとのことです」(同)

 また、この中では、

「中井監督や、その息子で現在部長を務める惇一氏(30)らが、生徒に暴力を振るうところを目撃したとも記されていたのです」(同)

“中井王国”

 1月の事案で広陵側から調査報告を受けた広島県高野連では、前出の堀校長が副会長に就いていた。そのため今回、SNSでは“隠蔽(いんぺい)があったのでは”といった臆測も乱れ飛んだのだが、

「堀校長自身が20年以上前、中井監督の下で数年間、部長を務めており、広陵の実力者はあくまで監督。現在は部長である長男と共に“中井王国”と言っても過言ではありません」

 とは、県内のさる野球関係者である。中井監督は1990年4月に27歳で母校・広陵の監督に就いて以降、35年間指揮を執り続けている。自らも80年の春夏には内野手として甲子園に出場。それぞれ4強、8強に進んでいる。当時の指揮官で、後任を中井監督に託した松元信義氏が言う。

「当時はカープで活躍した捕手の原伸次もいましたが、中井は目立たないながらもトップバッターでチームを牽引(けんいん)し、高3の時には副主将でした。その後は大阪商業大へ進みましたが、私が『もし将来、母校で監督に就きたいのなら教員免許を取りなさい』と勧めたところ、その通りにして戻ってきたのです」

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