「長嶋さんの体にボールをぶつけてしまい、先輩から頭をゴツンと…」 立教大学OBが明かす長嶋茂雄さんの「プロデビュー前」の素顔

スポーツ 野球

  • ブックマーク

【前後編の後編/前編からの続き】

 東京六大学野球の人気がプロ野球を凌駕(りょうが)した時代、神宮球場の大観衆は長嶋茂雄さん(享年89)の華麗なプレーに歓喜した。リーグ戦春秋連覇、通算8本塁打の新記録を引っ提げてプロ入りした長嶋さんの、立教大学野球部時代を共に過ごしたOBらが「スター伝説」を語る。

 ***

 前編【「“お前もパンツ脱げ”と…」 長嶋茂雄さん、大学の後輩が明かす“特殊過ぎる”練習方法 「後輩にも“君付け”でイビリは絶対にしなかった」】では、後輩が明かした特殊な練習方法や天然エピソードについて報じた。

 長嶋さんが大学2年の秋のリーグ戦を前に、スパルタ指導の砂押邦信監督は、上級生の造反によって辞任に追い込まれる。後任は、立教OBの辻猛監督。京都府立嵯峨野高校出身で、長嶋さんの1年後輩だった荒井邦夫さん(88)によれば、

「選手の自主性を重んじる辻監督の下、長嶋さんは伸び伸びプレーするようになった。華麗なゴロさばきを披露するようになったのも、その影響だと思います」

南海に入団させるために“お小遣い”を

 長嶋さんが4年のときに、六大学リーグ戦を春秋連覇、通算8本塁打のリーグ新記録も樹立する。

「長嶋さんが最上級生になると、プロの複数球団からスカウト攻勢が一斉に始まりました。中でも立大OBで当時南海ホークスの中心打者だった大沢啓二さんは、長嶋さんと杉浦さんの面倒をよく見ていたのを覚えています。二人を南海に入団させるため、頻繁に合宿所を訪ねるようになったのです。その際、必ず二人にお小遣いを1万円ずつ渡していました。現在の金額なら10万円に相当するはずです」(荒井さん)

 リーグ通算96試合に出場し、打率.286、39打点。1956年春と57年秋には首位打者を獲得した。

 しかし58年、長嶋さんは南海ではなく巨人に入団。当時としては破格の契約金1800万円だった。

 福岡県立修猷館高校出身の稲川誠さん(89)は、長嶋さんの2年後輩になる。

「私のようなその他大勢扱いの1年生部員は、長嶋さんに口を利ける立場にありませんでした。話ができるようになったのは、卒業後、私が社会人野球を経てプロに入ってからです」

 と、ご本人は語る。

次ページ:「長嶋さんの体にボールをぶつける大失態を……」

前へ 1 2 3 次へ

[1/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。