「欽どこ」でマスクを脱いだ「初代タイガーマスク」引退の真相…圧倒的人気を誇ったプロレス界のヒーローに何があったのか

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不可解な引退劇

 引退がテレビで公表されたのは、その次の週、19日(金)の「ワールドプロレスリング」冒頭だった。当時はプロレス専門誌も月刊ペースの刊行だったし、「東京スポーツ」は少年ファンにはなかなか手を出し辛いものがある。よって、ここでようやく、タイガーマスクの引退を知った方が多いのではないか。引退宣布は、古舘アナが猪木にインタビューする形でおこなわれた。場所はカルガリー。猪木はタイガー引退時には、海外遠征中だったのだ(※試合収録のため、古舘も同行していた)。

古館〈(前略)突然の引退宣言があったわけですが、猪木さんはどう捉えてらっしゃいますか?〉
猪木〈私の留守中だったことで、わからないんですけどね。仮に引退しても、立派に社会人として生きて行って貰いたいですね〉
古館〈猪木さんはかなり冷静に受け止めてらっしゃるようですね〉
猪木〈私もちょっと逃げてた部分があって。俺もまだまだ頑張らなきゃいけないという気分になりましたよ〉

 なんとも要領を得ない猪木の返答だが、それもそのはずだった。猪木は8月20日に帰国すると、空港で待っていた当時の新日本プロレスの要人たちに、社長辞任を迫られる。猪木の預かり知らぬところで別勢力が動いており、新日本プロレスに、クーデター事件が勃発したのだ。

 クーデターの概要は、猪木の副業であるバイオ事業「アントンハイセル」に多額の新日本の売り上げが継ぎ込まれていると判断した一派が、“猪木降ろし”を画策したものだった。ちょうどタイミングがタイガーの引退と重なっていたため、どうしても関連付けて語られることがある。実際、タイガーは、クーデター派と接触を持っていた。

 7月中旬をメドに、猪木退陣の青写真を持ったクーデター派は、7月29日に富山で、タイガーと会談。すると、タイガーは、「実は8月11日あたりをメドに、辞めようと思っている」と吐露する。タイガーの人気も欲しいクーデター派は、将来的なタイガーマスクの合流を望み、彼を一旦は海外に出すプランを含め、協力を約束し合った。しかし、タイガーの傍らにいたS氏と昵懇な関係を結ぶのは躊躇した。

 S氏については、筆者が後年に取材した第一次UWFの社長・浦田昇によれば、「軽く聞いただけでも、前科何犯という……」、いわば、素性の良からぬ人物で、クーデター派は排除を狙っていたのである。ところが、自分が除け者とされることを察したS氏はタイガーを逆に自陣に囲うスタンスとなった。これにより、タイガーの引退、そして、完全独立への動きが加速した感は否めない。

 しかし、ということは、猪木の副業に対する過誤を追及しようとしたクーデター派と、タイガーは、無縁だったこととなる。果たして、引退の真意は、どこにあったのか。

 タイガーは引退の前年、1982年12月15日に新宿・京王プラザホテルで“婚約式”をおこなっていた。同式は簡素なもので、出席者の内訳は婚約する両人と、互いの父母、猪木、新間、そして仲人(福岡でウェディングホールを経営する実業家、F氏)夫妻だった。だが、翌年夏、タイガーが結婚式を改めて海外でおこなおうとすると、新間寿からストップがかかった。この時点では既にS氏の影がちらついており、タイガーはS氏も式に呼ぼうとしていたのである。新間が筆者に述懐したのは以下である。

「もともとタイガーは性格が素直なんですよ。だから、すぐ人を信じちゃう。Sにしても、『お世話になった人だから……』と言うのだけど、私は断固反対した。『結婚式ってのは、写真も残るんだぞ。そんな中にSなんかがいたら、後々、お前の人生に悪い影響を及ぼすことになる』と……」

 タイガーはこの新間の言葉に、態度を著しく硬化させた。だが、新間が言うことが全くの正論だったことを後々認めていることは、後年、タイガーと新間がよりを戻したこと、そして、数々の大会(「ストロングスタイルプロレス」等)を共に主宰したことでも明らかだ。

 しかし、引退したこの時期、新間との関係が良かったとは言えない。ファイトマネーやサイン会のギャランティが中抜きされているという噂もあった。だが、少なくとも筆者が佐山自身にインタビューした際、当時の収入に対する不満を聞いたことはないし、本人の各種回顧でも触れられていない。また、タイガーマスクは当時、数少ないテレビ朝日との契約プロレスラーでもあり(他、猪木、坂口、藤波のみ)、冒頭で素顔を晒した「欽ちゃんのどこまでやるの?」もテレビ朝日制作であった。2年契約で2000万円(推定)の条件だったとされ、この金が猪木の副業につぎこまれる心配もなく、金銭面での不満があるようには思えない。

 それよりも、強く心に銘記された言葉があった。それは、タイガーマスクが引退にあたり、好敵手、小林邦昭に電話で伝えた一言だった。

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