小栗旬、遠藤憲一を輩出?老舗養成所が破産 タレントを広告募集…元社員が見た「夢を売る」ビジネスの舞台裏

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松平健、三原順子、遠藤憲一、つるの剛士、小栗旬…多くのタレントが

 東京宝映(劇団を含む)は、松平健、稲川淳二、大場久美子、小川範子、三原順子(現・三原じゅん子)、遠藤憲一、つるの剛士、小栗旬、声優の伊東範子(現・日高のり子)など、数多くの俳優やタレントを“輩出”してきた。歌手志望で「ローレライ」でデビューし、映画「スパルタの海」でヒロインを務めた横田ひとみ、CMやドラマで人気を博した大泉成子、映画出演をきっかけに滝田洋二郎監督と結婚した山中千多枝、松田聖子のライバルとしてデビューした浜田朱里など、例を挙げれば枚挙にいとまがない。

 だが、振り返ると、東京宝映の事務所・劇団を退所して、他の芸能プロに移ってから売れた俳優やタレントが圧倒的だったのも事実。よく稽古が終了する時間になると、神楽坂の本社周辺には芸能プロのスカウトマンが現れ、目を光らせていた。東京宝映は芸能部があったが、売り込みの実動マネジャーは2~3人程度しかいなかった。1人は当時売れっ子だった三原に付きっきりだったことを考えると、マネジメントよりも募集と養成までが限界で、活躍の場を求めて他の芸能プロへ移籍したのは当然だったといえる。

 一時は三原順子の人気を頼りに、映画製作にも幅を広げようとしていたこともあった。1982年公開の映画「人形嫌い」(日高武治監督=東宝東和)の企画・製作をした。91年には出身俳優である松平健を主演にした「ストロベリーロード」(蔵原惟繕監督=東宝)をフジテレビと共同製作してもいる。特に「ストロベリーロード」は三船敏郎や大地真央、桜田淳子など錚々たるキャストをそろえ、タレントの養成所の作品としては異例のものだった。しかし、映画製作への進出は事業拡大には結びつかず、むしろ命取りとなった可能性がある。

 東京宝映としては、80~90年前半の全盛期は、少なくとも十数億円の年間収入を誇り、神楽坂の本社裏に自社ビルを建てていた。だが、90年代後半になると少子化による入所者の減少とテレビの衰退で減収の一途を辿っていった。

 社名を「宝映テレビプロダクション」に改めたのは00年代になってからだといわれる。その後、「劇団フジ」と分業化したことも経営を悪化させる要因になっていった。一方で、既存の芸能プロが、それまではリスキーとしてきたタレントの育成に力を入れ始め、アカデミーなどを開設し養成に力を入れはじめたことで、宝映の存在感は薄まった。演技指導で迎えていた映画監督やプロデューサーたちも、独自のワークショップを積極的に展開するようになった。さらにはSNSの発達で、高額な入所金を支払って養成所に入らなくても、独自のスタイルでアイドル活動ができる文化も定着した。

 東京宝映が切り開いてきた養成所のシステムは、時代と共に、その役割を終えつつあるのかもしれない。ただしこの流れは他の芸能プロにとっても他人ごとではない。少子化問題や働き方改革におけるマネジメント人材の不足、さらにSNSの発達などは、たとえ大手芸能プロでも脅威に感じているはずだ。そうした意味で、宝映の自己破産は今後の芸能界において大きな転換点になるような気がしてならない。

渡邉裕二(わたなべ・ゆうじ)
芸能ジャーナリスト

デイリー新潮編集部

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