「絶対に一橋大に進みなさい」…深夜1時まで勉強を強制された小学生時代 母親にかけられた深すぎる「呪い」の言葉【毒母に人生を破壊された息子たち】
一橋大に行きなさい
池井多さんは1962年、塾経営者の母(1936年生)と、会社員の父(1933年生)の第一子として横浜に誕生した。母は名門女子大卒、父は工業高校卒という夫婦が作る家庭は、妻が権力を握り、夫を見下すという構図が、池井多さんには幼い時から当たり前の、家庭の風景だった。
「あなたね、お父さんのようになったらおしまいよ。学歴もない。収入もない。あなたは、絶対に、ああはなってはいけない」
テレビを見る父の背中を横目に、母はこんこんと息子に言い聞かせた。
「あなたは、絶対に一橋大へ行きなさい」
なぜ東大でも京大でもなく、一橋大だったのか。
「それは、今ならわかります。母親は東京女子大学在学中に、一橋大学の学生に恋をしたものの叶わなかったようです。その腹いせに、当時、人形劇団で活動していた高卒の男性と結婚したわけです。母親は名家の令嬢だったわけですが、下層の男性を結婚相手に選んだことで、親戚からかなり誹られたらしいです。息子を使って、そうした“不名誉”の失地回復を図ろうとしたようです」
母の厳命は、幼な子には絶対のものだった。池井多さんは小学3年から、夜中の1時、2時まで勉強をすることを強いられた。全ては、一橋大に入るためだ。10歳に満たない子が、夜中までの勉強に耐えられるわけがない。従わないと、決まって母はこう迫った。
「勉強しないんだったら、いい? お母さん、死んでやるからね」
この言葉が息子に与えた呪いの深さを、池井多さんは思わずにいられない。
「幼い子にとって、親の死は自分の死でもあるんです。親がいないと、生きていけない。少なくとも、そう思いこまされて育てられてきたのです。だから、どんな理不尽にも従うしかないわけです」
強迫性障害
記憶を辿ればすでに5歳の段階で、池井多さんは強迫性障害を発症していた。
「空気から汚物が入って、自分が穢れて死ぬんじゃないかと思って、汚物を出そうと唾を吐きたいけど、幼稚園で唾は吐けないから、ハンカチに吐くんです。だから、ハンカチがいつもびしょびしょになっていました」
5歳というのは、母方の祖母が死んだ年でもあった。母は祖母に依存性が高かったと今は思うが、この祖母の死が始めの「呪い」のきっかけとなった。
「おまえが悪いことをしたら、おばあちゃんが見ているから、何にも誤魔化せないんだよ。おばあちゃんが見ているし、悪いことをしたら、お母さん、死んでやるからね」
潔癖症にがんじがらめになる人生が、こうして始まった。
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