無責任男「植木等」のあまりにも粋な“師弟愛”…付き人「小松政夫」に「明日から来なくていい」と言い放った理由
夕刊紙・日刊ゲンダイで数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけているコラムニストの峯田淳さん。これまでの取材データから、俳優、歌手、タレント、芸人……第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返る「人生を変えた『あの人』のひと言」。第29回は数々のギャグを生み出したコメディアンとして、そして俳優としても大活躍した小松政夫さん。付き人して支えた植木等さんとの心温まる秘話が満載です。
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「お呼びでない?」誕生の秘密
植木等の誰もが知っているギャグといえば、
「お呼びでない?……お呼びでない、ね。……こりゃまた失礼いたしました!」
これがどうやって生まれたギャグなのか、植木自身が「いつみても波瀾万丈」(日本テレビ系)でこう語ったそうだ。
人気番組「シャボン玉ホリデー」(同)に出ていた時のこと。植木は出番まで時間があり、楽屋で雑誌を読んでいた。そこに、当時の付き人だった小松政夫(20年没、享年78)が「親父さん、何しているんですか、出番ですよ」と声をかけたという。植木は「そうか」と、すぐにスタジオに行ったが、スタッフや出演者たちはキョトン……。まだ自分の出番ではなかったとわかる。そこで「お呼びでない?…」と、咄嗟に口から出たのが、あのギャグだったという。
しかし、12年に日刊ゲンダイに連載した「これからもギャグ人生」の中で、小松は「これは事実とは違う」と語った。
実際はどうだったのかというと、「なんとか小松を盛り立ててやろうという、優しい親心から生まれた作り話」だったという。小松は植木の付き人になる前、車のセールスマンをやっていた時代があるが、その頃、すでにこのギャグをテレビで見ていたそうだ。
福岡市生まれ。自宅は4階建ての三角ビルで、家業はお菓子屋。父親は紳士録に載るような人で背広は英国製でビシッと決めていた。両親と7人きょうだい(小松は上から5番目)の一家は、裕福な生活を送っていた。
ところが、中1の時に父親が急死し、貧乏のどん底に突き落とされる。引っ越した先の家賃が払えず、ついには共同トイレで二間のアパート生活。高校は夜学に行き、アルバイトで稼いだお金を家に入れた。卒業すると、横浜で就職した兄を頼って上京し、兄の独身寮に潜り込んだ。
上京したのはずっと役者になりたいと思っていたからで、養成所の試験も受け、内定をもらうが、お金がなくて諦める。その後、神奈川中央市場の魚屋、ケーキ屋、ハンコ屋などを転々とし、活路を見い出したのが口八丁のセールスの仕事だった。
始めはコピー機、次に横浜トヨペットのセールスマン。この時の営業部長が「空手チョップだよ~ん」とギャグを飛ばす面白い人で、小松のギャグ人生はこの頃からすでに始まっていた。
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