無責任男「植木等」のあまりにも粋な“師弟愛”…付き人「小松政夫」に「明日から来なくていい」と言い放った理由

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「親父さん」

 植木の付き人になるのは週刊誌の「付き人兼運転手募集」の囲み記事がきっかけ。小松は600人ほどの中から選ばれた。

 セールスマン時代の苦労を後にテレビなどが取り上げているが、植木が小松を盛り立てようと思ったのは、苦労の多かった自分の人生を知っていたのが理由だと、小松は語った。

 植木の小松への思いは格別といっていい。

「君はお父さんを早くに亡くされたようだが、オレのことを何と呼ぶ?」

 植木にこう訊かれた小松が、

「親父さんでいいですか」

 と答えると、「『先生』なんて言ったら張り倒そうと思っていた」と、声を荒らげたという。

 付き人になり、テレビに出るようになって、「植木等ショー」(TBS系)もスタートしたが、ネタに困って、5歳の玉乗り少年を登場させたことがあった。これを小松がやって大失敗し、本番が遅れるアクシデントに。しかもこの日のメインゲストは、ハナ肇とクレージーキャッツ。植木は小松が謝る前に「うちの松崎(小松の本名)が迷惑をかけてごめん」と詫びを入れ、小松を咎め立てするようなことはなかった。

 中曽根康弘を始めとする政財界や芸能界の重鎮がズラリと顔を揃えるゴルフコンペでのこと。植木は運転手の小松をひな壇にあげて、

「みなさん、松崎といいます。今に大スターになりますから、お見知りおきください」

 と、紹介してくれたこともあった。

 ホロッとさせられる、有名なかけそばのエピソードもある。

 小松が車を磨いているうちにいつものかけそばを食べ損ねた。それを知っている植木は帰りにそば屋に立ち寄った。小松は先に出てきたかけそばを食べていたが、天丼とカツ丼を頼んだ植木は「2つも食べられない。これ食ってくれ」と、カツ丼を小松の前に押し出した。

「明日からこなくていい」

 付き人生活は3年10カ月。ある日、小松は運転中に「明日からこなくていい」と言われて「クビか!」と思った。しかし、「マネージャーも給料も決めてきた」と独り立ちをすべてお膳立てした植木の一言だった。

 植木の父は真言宗大谷派の住職で、植木も僧侶を目指していたほど、至ってマジメ人間だったことは知られている。

 しかし、バンドマンを経て、メンバーとなったクレージーキャッツが「シャボン玉ホリデー」で大人気に。「お呼びでない」、「わかっちゃいるけど、やめられねぇ」などのギャグ、「昭和の無責任男」シリーズで、おふざけ路線を突っ走った。表と裏の顔がこれほどくっきりと異なる人も珍しい。

 一世を風靡した後、植木を苦しめたのは病魔だった。長い間、肺気腫を患い、「水の中で立とうとして足が着かなくなってアップアップしているような状態だった」そうだ。それでも07年に80歳で亡くなる前に、明治座の舞台で、師弟は共演することができた。

 舞台が終わってから小松に巻紙の封書が届いた。そこには「20年ぶりに君と一緒に芝居をしたが、腕を上げたなと誇らしかった」と書いてあった。

 小松自ら「これほど濃密な師弟関係は他では聞いたことがありません」と連載を結んだ。

峯田淳/コラムニスト

デイリー新潮編集部

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