「師団長の遺体はゴミ焼却炉に」…“玉音放送の録音盤”を狙った反乱派の非道 「次郎物語」作者の息子が明かしていた無残な情景【週刊新潮が伝えた戦争】 #戦争の記憶
遺体はゴミ焼却炉に隠されていた
畑中少佐は、説得は失敗に終わったと思い込み、15日午前2時までに近衛師団が動かなければ、反乱計画は崩れると焦っていたという。
「中将が“お前たち、なんだ”と一喝したのに対して、畑中が拳銃で撃ち、続いて剣道5段の上原が袈裟掛けに斬り倒した。さらに、義兄の森を訪ねてきていた白石中佐が畑中に組みついたところを、上原が斬り、窪田が止めを刺したといわれています」(秦氏)
この時、じつは隣の部屋で騎兵連隊の佐々木民治少尉が仮眠中だった。佐々木少尉は剣道7段、柔道6段をはじめ武道合計27段という猛者で、師団長の身辺護衛役を務めていたのだ。下村氏が語る。
「物音に跳ね起きて師団長室に飛び込んだときには、既に事は終わっており、彼はそのまま身柄を拘束されて、一室に監禁されてしまった。やっと脱出して連隊本部へ帰りついたときの報告によると、森師団長の遺体は、師団司令部のゴミ焼却炉に隠されていたそうです。武人にあるまじき非道な扱いだと、悲憤慷慨(ひふんこうがい)していましたよ」
森中将は大変な人格者だった
師団長殺害後、直ちに古賀参謀によって師団命令が下され、各連隊に伝達されたのだが、
「殺害が発覚すると、その師団命令がニセであることがバレてしまう。それで、ゴミの中に遺体を隠したのですよ。それにしてもあまりにも無残なやり方です」(下村氏)
森中将が昭和19年に近衛師団長として赴任してきたときの訓示を、下村氏は今なお忘れない。
「“将校たるもの、兵より先に箸をつけるな”というのです。兵にまず食べさせて、その後に将校は食べよ。そうでなければ、指揮官として失格だということです。大変な人格者でした」
それに比べて、反乱側の行為は卑劣極まりないという。
「映画の殺害シーンでは、師団長はきちんと軍服に身を整えていますが、これも佐々木少尉から聞いた事実とは大違いです」と下村氏。「浴衣姿で義弟と懇談しているところを、いきなり問答無用で惨殺されたのです。全く武士の情けも何もないやり方です」
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