60歳男性の人生を決定づけた、30年前の「出られなかった電話」 事件はバブルの狂乱の果てに起きた
僕に電話をくれていたのに…
数年後、バブルははじけ、貴敏さんの勤務先もよほどの痛手を被ったらしい。
「バブルが弾けてすぐのころ、学生時代の友人が借金を背負って逃亡したんです。バブルのころはものすごい勢いで肩で風を切って歩いていた。『これからは経営者にならなくちゃダメだよ。会社なんてやめて俺と組もう』と僕も言われたんですが、勇気がなくて踏み出せなかった。その彼が逃亡前に僕に電話をくれていたのに、たまたま出ることができなかった。留守電に気づいて、彼がいち早く持っていた携帯電話にかけたけど、もうつながらなくて。そのころ彼は実家に戻って数時間、親と一緒に過ごしているんです。母親の手料理を食べ、仕事が忙しいから行くわと言って玄関を出た。彼の母親はそのとき妙な胸騒ぎがしたそう。止めようとして名前を呼んだら、彼が振り返ってニコッと笑った。そして彼はそのまま実家から遠く離れた場所で自死しました。彼の携帯電話に僕の番号が残っていたので警察からも事情を聞かれたけど、たまらない気分でした。太く短く生きればいいんだよと言っていたけど、死ぬ間際に本当にそう思えたのかどうか」
その件は彼の心の奥深くに刻まれた。やりたいことをやって潔く散っていく人生もありなのか、自分はどう生きたいのか。その後、会社ではリストラの嵐が吹き荒れるようになった。2000年代に入るころには吸収合併の憂き目にあったが、彼は「会社にしがみつく」選択をした。リストラされるほうも地獄、残るも地獄の時代が続いた。
結婚、バブル時代をひきずるわけには…
「そのころ、ひとりで生きていくことに耐えられずに結婚しました。相手はバブル時代に一緒に遊んでいた比佐子という女性で、僕が32歳、彼女が30歳のころばったり再会したんです。比佐子もバブル崩壊で実家の事業が倒産していた。父親は苦労を重ねたあげく亡くなったそうです。再会した当時、彼女は専門学校に通っていました。ちゃんと手に職をつけてまっとうに生きていくと寂しげに笑っていて。同じ時代を生きたこの人ならわかりあえると思った」
つきあおうなどという言葉もないままに彼女は貴敏さんの部屋に転がり込んできた。その後、彼女は無事に国家資格を取得、就職することもできた。仕事を始めたばかりだから子どもをもつわけにはいかず、ようやく娘を授かったのは貴敏さんが37歳のときだった。
「ふたりともバブル時代をひきずるわけにはいかないと気持ちを切り替えて生活しました。でも本来、それが僕らに似合っていた。彼女は産休、育休を経て仕事に復帰、まだ保育園が整っていなかったから、比佐子の母親を呼び寄せて一緒に暮らし始めました。義母がいたから第二子である息子も育てることができたんだと思う」
[2/3ページ]

