「何の理由をもって非国民と…」 終戦まで隠された“日本人捕虜第一号” 「口に出して言えない苦しみ」を抱えた生涯 【週刊新潮が伝えた戦争】 #戦争の記憶

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「苦しむことのない最期でした」

 むろん、酒巻さんは戦友たちのことを忘れたわけではなかった。酒巻さんの死去後、潔さんはこうも明かしている。

〈「父はひとりで多くの亡くなった戦友たちの慰霊に回っていました」〉(2000年1月13日号「墓碑銘」より)

 1991年、日米開戦50周年シンポジウムに出席した酒巻さんは、米国に保存されていた自らの特殊潜航艇と再会した。実は戦後、特殊潜航艇に対する評価は一転。戦果を上げられずに全滅とされ、そのまま忘れ去られていた。しかし“再会”の3年後には、特殊潜航艇も真珠湾に入り、魚雷を発射していたことが明らかになった。

 1999年10月、体調を崩して入院した。同年11月29日死去。享年81。葬儀は公にされず、ひそやかに行われた。貞子夫人によれば、

〈「もうこれ以上、騒がれたくなかったんです」〉(2000年1月13日号「墓碑銘」より)

 そして、伴侶の生涯をこう振り返っていた。

〈「苦しむことのない最期でした。思い返してみると、ずっと何かを堪え続け、口に出して言えない苦しみをもっていたようでした」〉(同上)

デイリー新潮編集部

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