「ゆっくり振られる手が見えた」生存者を発見した消防団員、マスコミの殺到を予測した球団社長夫人…「日航機事故」関係者と遺族の“長い一日”
事故から40年
死者520名、生存者4名。1985年8月12日に発生した日航機123便墜落事故の死傷者数は、2025年現在も日本の航空機事故でワースト、単独機での事故としては世界でワーストである。事故としては1件でも、そこには524名の死傷者とその身内、さらには関係者たちの物語が存在するのだ。
事故から1年後の1986年、「週刊新潮」はあの日を振り返る特集「悲報はこうして来た」を掲載した。今回はその中から、生存者を発見した上野村の村長、海外で悲報を受けた外国人搭乗者の遺族、虫の知らせがあったという遺族のエピソードをお届けする。...

