突然の別れから40年…当時の事務所社長が語る「坂本九さん」最後の日 紙袋かぶって歌った「アニメになりそうなキュートな人」

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それ、九ちゃんが乗ってる飛行機だ

「この日、ラジオの公開ライブで『心の瞳』など10曲を歌い、その後、飛行機で大阪へと向かいました」

 乗った飛行機は日本航空123便。そう、520人の死者を出した、日本の民間航空史上最悪の事故と言われる墜落事故を起こした機体だ。

「私、九ちゃんが大阪に行くことを知らなかったんです。仕事ではなくプライベートだったから。九ちゃんが大阪でお世話になっていた友人が、市議選に立候補するというのでその応援だったと後から聞きました。

 当時の事務所スタッフが彼の大阪行きを知っていて、事故の第一報が流れた時に便名を伝えたら“ええ!? それ、九ちゃんが乗っている飛行機だと思う”って」

 すぐに日本航空へ連絡をして、事故についての情報を聞こうとしたのだが、

「“何もわからない”としか言ってくれませんでした。こちらとしては早く現地に行きたい。だけど、その場所さえわからない。居ても立ってもいられず、車に乗って手探りで出かけました。わけもわからず、とりあえず“あの辺り”と報じられている方向へ向かったんですけど……。御巣鷹山という名前が出たのは一晩経ってからだったと思います」

 そして一晩明けた朝、向かったのは遺体が運ばれていた藤岡市の体育館。そこにはすでに多くの人が集まっていたという。

「あの時起こったこと、あまり憶えていないんです。無事を祈る気持ちばかりじゃなく、ゆっこさん(坂本さんの妻・柏木由紀子)の代わりにマスコミ対応したり、お見舞いをうけたり、遺体確認の席に待機をしたり、色々とやらなくてはいけないことがいっぱいでした。

 ただ、あれだけの大事故だったから、マスコミのみなさんも“何か書かなくては”“他とは違う情報を探さなくては”と異様な雰囲気だったことは憶えています」

“若き日の九ちゃん”を残したい

 今年、没後40年を迎えた坂本さんについて、改めて振り返ってもらうと……。

「今ならアニメになりそうなくらいキュートな人でしたね。最初の頃はユーモラスな曲を歌っていて、楽しい九ちゃんというイメージだけど、きっちりと歌うものについてはペーソスあるし。そんな魅力をみなさんに知ってほしいという思いでまとまりました。

 彼の魅力を後世に伝えたいと思って、奥様の柏木由紀子さんをスーパーバイザーに迎えて、ユニバーサル ミュージックから3枚組のCDを8月20日にリリースします。代表曲はもちろん入りますが、ベスト盤というより九ちゃんの思い出、かな。みなさんには亡くなった43歳の九ちゃんの姿が印象に残っているかもしれませんが、’64年にゴールドディスクをいただいた時の若い九ちゃんのパワーとフレッシュな魅力を感じてほしいですね」

 もう1度、歌手として歌を届けたい、輝きたい、という思いを果たせぬまま、突然の事故でこの世を去った坂本さん。しかし彼が歌ってきた曲は、時代を超えて今も歌い継がれている。

 その歌声は今日もどこかで響いている――。

 前編記事【『上を向いて歩こう』65年目 “パジャマのまま車に担ぎ込まれ……” 坂本九さんの当時の事務所社長が語る熱狂と素顔】では幼馴染のように青春時代を過ごした当時の事務所社長が、“自宅納戸に居候をしていた超人気者・九ちゃん”の素顔を初告白している。

取材・文/蒔田稔

デイリー新潮編集部

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