『上を向いて歩こう』65年目 “パジャマのまま車に担ぎ込まれ……” 坂本九さんの当時の事務所社長が語る熱狂と素顔
全米大ヒットにポカーン
1961年7月、19歳の坂本さんが中村さんのリサイタル用に歌った『上を向いて歩こう』。翌月には『夢であいましょう』でテレビ初披露を果たす。すると――。
「けっこうな騒ぎになったの。歌った翌々週に、番組の企画で“譜面プレゼント”の告知をしたら、1万通もの応募があったんですって」
10月にリリースされた『上を向いて歩こう』は、大ヒット。その波は海を超えて届くことに。
ヨーロッパのプロモーターが日本のレコード会社・東芝からもらったレコードを、イギリスのトランペット奏者、ケニー・ボールに渡した。ケニー・ボールはその曲をインストゥメンタルで演奏し、日本的イメージで『SUKIYAKI』というタイトルをつけ発表。全英チャート10位にランクインした。
「『SUKIYAKI』の名付け親はケニー・ボールです。その後、日本版のレコードをアメリカに持ち帰った人がいて、その人がDJに“こんな曲があるんだけど”と渡してラジオでかけたら、今度はアメリカで話題になって」
ラジオ番組で流れたことで、運命は大きく変わった。爆発的な人気を得て、全米ビルボード1位となったのだ。しかし、日本ではアメリカでヒットしていることは知られていなかった。
「東京新聞の記者さんが、記事にする前に“大変なことになっているよ、アメリカで1位だよ”って知らせてくれたんだけど、私たちはポカーン(笑)。九ちゃん本人もあまり実感がなかったんだと思います。今みたいに簡単に海外に行けるわけでもなかったし、憧れていた外国で自分が出した曲が売れているなんて、想像できなかったんじゃないかな」
一躍、世界でスターになった坂本さん。だが、マルチタレントとして番組の司会など、歌以外の仕事が増えていく中、歌手としての人気に少しずつ翳りが見えてくるように――。
後編記事【突然の別れから40年…当時の事務所社長が語る「坂本九さん」最後の日 紙袋かぶって歌った「アニメになりそうなキュートな人」】では、人気の低迷から匿名アーティストとして活動した九ちゃんの苦悩と、今だから語れる“事故の日の記憶”を明かしている。






