食事に出たウナギに歓喜した「元連合赤軍メンバー」 職員を怒鳴りまくる「トリカブト殺人・主犯」 凶悪死刑囚たちの知られざる「獄中生活」 身の回りの世話をした元受刑者が証言

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「あの映画はどう?」

 衛生夫は普段は別のフロアにある房に収監され、朝、死刑囚のいるフロアに“通勤”する。

「死刑囚の起床時間は7時。7時15分に各房の点検があり、7時半から朝食です。食事は食器孔という開閉式の蓋のある小さな窓から差し入れます。8時から運動、入浴、“願い事”と続きます。願い事とは、死刑囚が購入したいものを“願箋”という用紙に書いて出すことです。月曜日が本と牛乳券、火曜日と金曜日は食料品、水曜日は日用品と曜日によって決まっている。昼食は11時40分。夕食はかなり早く午後3時50分です」

 1日に2回、NHKのラジオニュースが流される。

「昼12時10分から15分の間に朝のニュースを録音したもの、夕方6時50分からは昼のニュースが流されます。2010年8月、当時の千葉景子法務大臣が命じて拘置所内の刑場(絞首刑が行われる場所)が公開されましたが、そうした死刑囚に知らせたくないニュースは流さないようにしています。午後5時から9時まではFMの音楽番組が房内で聴けるようになっている。担当官は15分置きに各房を巡回していますが、皆、寂しい死刑囚なので、担当官と話したがり、巡回中、1、2時間はザラ、時には3、4時間も引き止められて“あの映画はどう?”とか話しかけられる例もありました」

恋人の死

 クリント・イーストウッドの映画について、担当官を捕まえて延々と話していたのは、連合赤軍事件の坂口弘(66=当時)。坂口は、同志リンチ殺人事件(死者12名)とあさま山荘事件(死者3名)で1972年に逮捕。1993年に死刑が確定した。獄中から短歌を発表して話題になった。『あさま山荘1972』などの著作もある。

「若くして逮捕され、ずっと拘置所にいるせいでしょうか、年齢の割には少年みたいな精神年齢の低さを感じました。拘置所では節分には豆、雛祭りにはちらし寿司、土用の丑の日には鰻、中秋の名月には団子といった特別メニューがでることがありますが、彼に配膳すると、“やったあ、今日、お団子なんだ!”とか“今日、鰻なんだ、嬉しいなあ!”などと子供のように喜ぶんです」

 そんな坂口死刑囚だが、2011年2月に連合赤軍の同志で、やはり死刑囚の永田洋子が獄死した時は相当なショックを受けた様子だったという。

「かつての恋人の死は衝撃だったようで、3日間も食事を摂りませんでした。まるで病人みたいで、担当官も衛生夫も皆、驚いていました。彼は何冊も本を出しているので、お金持ちです。確定申告をしていて、“今年は税金が高かった”と話していたこともありました。毎日、所内では読売新聞が1フロアにつき6部配られて死刑囚が回し読みするのですが、坂口は“読売は国寄りだ。俺は絶対に読まない”と言って朝日新聞を自費で購読していました」

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