「サレ妻」が主役に躍り出る時代に 箕輪厚介氏の妻が見せた「エンタメ化」するという勝ち筋

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「サレ妻」が主役に躍り出る時代 支持される妻・されない妻の分かれ目は?

 そんな中、ある種の「勝ち筋」を見せたのが編集者・箕輪厚介氏の妻である。夫とYouTuber・いけちゃんの不倫疑惑が明るみに出るや、彼女はXで不倫相手女性を「くそブス鬼ブス整形ブス」「調子乗んな貧乏人」と罵倒。夫と親交の深いホリエモンの「しかし、箕輪面白いな」とのツイートにも「どこらへんが?」とかみつき、「面白過ぎる」「妻が最強」とネット民の共感と笑いを同時に獲得した。あっという間に夫と不倫相手がそれぞれ謝罪動画を投稿するという展開に持ち込んだのである。第三者にツッコまれる前に、当事者である妻が場に乗り込んで「エンタメ化」したことで、結果的に炎上を抑え込んだ形だ。

 この事例が示すのは、「サレ妻」もまた主役になり得るということだ。しかも「被害者として泣く」のではなく、「当事者としてツッコむ」ことで世間を味方につける。この構図は、旧来の「妻は沈黙してこそ美徳」という価値観を明確に突き崩している。箕輪氏のモットーは「死ぬこと以外かすり傷」というが、今回「かすり傷」で済んだのは大暴れしてくれた妻の功績に尽きるだろう。

 では、どのような妻が「良い妻」として支持を集めるのか。傾向として浮かび上がるのは、「もともと発信力がある女性」「一般人であっても共感を集めるリアリティーを持っている女性」だ。

 例えば箕輪夫人はアロマテラピストとして活動しており、さまざまな取材を受けたりSNSでのフォロワーも多い。なお、現在は当事者間で話し合いが済んだとのことで、相手女性への暴言については反省しているというコメントが発信されている。こうした人間味もまた、彼女に対する好感度を高めたのではないか。

 一方で、芸能人であっても現役時代の露出が少なく、「誰?」という反応を受けやすい場合、SNSで発信しても支持が集まりにくく、むしろ逆効果になるリスクもある。ただ、普段から生活感や家庭でのリアルな苦悩をにじませていると、視聴者や読者に「私と同じだ」と思わせることができる。だからこそ、発信の文脈やタイミングは極めて重要だ。

 そしてもう一つ、重要なのが「共演者の振る舞い」である。不倫が「ネタ」で済まされなくなった今、舞台あいさつやトーク番組で軽くイジる行為そのものが、「養護者」としての批判にさらされるリスクを帯びている。

 田中圭さんの例では、共演者からの「笑い交じりのイジリ」が逆に批判の的となり、「周囲がネタにすることで本人の罪を軽くしようとしているのでは」という不快感が漂った。ここにも「ネタ化はみそぎにはならない」という今の風潮が如実に現れている。

 これまで「良妻」とは、「騒がず、耐えて、夫を立てる」女性のことを指してきた。だが今、そのイメージは大きく揺らいでいる。黙っているだけでは支持を得られず、発信するにしても熱くなり過ぎず、冷静過ぎず、ユーモアと怒りのさじ加減を誤らないことが求められる。

 あまりに厳しい要求かもしれない。しかしそれは、夫の不倫を巡る社会の目が、単なるスキャンダルそのものではなく、「家庭のあり方」や「パートナーシップの実像」へと移行している証しでもある。

「沈黙するだけの良妻」の時代は終わった。これから求められるのは、痛みを伴っても言葉を発する勇気と、その言葉が人を味方に変える力だ。世間が見たいのは「夫の尻拭い」ではなく、「良妻の賢い選択」なのだろう。

冨士海ネコ(ライター)

デイリー新潮編集部

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