【トランプ関税合意】交渉決裂でも「合意」という外交レトリックの複雑な世界

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絶望的と見られていたのに合意

 参議院選挙での与党大敗を受けて、いわゆるトランプ関税をめぐる日米交渉は難航する。そんな見方を口にする人が多かっただけに、トランプ大統領言うところの「歴史的合意」は驚きをもって受け止められた。25%は不可避かと悲観論が拡がる中、15%で済んだということはさらなるサプライズ要因となった。

 この間、日米双方の交渉当事者からはさまざまなコメントが発せられていた。それがあるときは楽観的、あるときは悲観的、さらにあるときは絶望的とも取れるものだったことは、この交渉の難しさや外交そのものの厄介さを示していたと言えるだろう。

 外交の場においては、表向きのコメントが真実とは限らない。レトリックの背後にある意味を読み取る必要がある――そう指摘していたのは、ジャーナリストの伊奈久喜氏だ。ボーン・上田記念国際記者賞受賞者(1998年度)でもある伊奈氏は、国際政治のエキスパートとして知られる。

 伊奈氏の著書『外交プロに学ぶ 修羅場の交渉術』から、外交当局者たちの「絶妙なレトリック」に関する解説を見てみよう(同書から抜粋・再構成しました)。

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 議論や交渉の場では、1回で結論が出るとは限りません。しかし、経過を対外的に発表する際に、単純に「結論が出ませんでした」と言うと「物別れに終わった」という印象を与えてしまいます。もともと出席者たちは結論を出すために集まったわけで、それが決裂と受け止められるのは、いいことではありません。

 そのため、結論が出ない状態を対外発表する場合、外交当局者たちは様々な表現法を持っているようです。

苦戦を隠す絶妙なレトリック

 話を単純化するために、A国とB国がある問題について外交交渉をするとしましょう。

 最も初歩的な段階にあたるのが「基礎的議論」です。それぞれが自分の立場を述べ合っただけの状態が、これにあたります。A、Bいずれも自分に有利な結論を導きたいのだとすれば、まずはそれぞれが相手の主張を分析し、どこをどう攻めるかを考え、次の会議に臨みます。
 
 基礎的議論の段階で相手が述べた主張が自分の言い分に近ければ、その具体的な意味をただし、明確にしていくことになります。この作業を英語では「クラリフィケーション(明確化)」と言います。結論を導き出すことに主眼が置かれる交渉の前には、クラリフィケーションの段階が必ずあるものです。この結果、それぞれの主張が明確になれば、その差を具体的に縮める交渉に入っていきます。
 
 交渉に入る際には、原則論をもう一度述べ合い、相手の譲歩を迫ることになります。溝は簡単には埋まりませんし、この段階ではあえて埋めようともしない。相手への信頼感があれば、いきなり譲歩を切り出す場合もあるでしょうが、それが弱腰ととられ、不利な結論を押しつけられる可能性があるからです。

 しかし、外交レトリックの世界では、このような状態を説明するのに「率直な話し合いをした」と表現します。これだけだと、会議の雰囲気が悪いように受け取られてまずいと考える場合には、さらに「友好的な雰囲気で率直な話し合いをした」などと表現を付け加えます。

 こういう段階を経ることで、やがて双方の交渉者たちには一種の連帯感が生まれ、交渉をまとめようという雰囲気が高まってきます。相手の交渉者が身内をどう説得するかにも配慮しながら交渉が進むことになります。

「決裂」をどう表現するか

 もちろん、物別れになる場合もあるでしょう。
 
 1989年、日本の航空自衛隊が導入する次期支援戦闘機(FSX)をめぐって、一度は合意に達した交渉をやり直したことがありました。当時の米国のブッシュ政権が議会の圧力で、合意の見直しを迫られたからでした。

 交渉のやり直しは、双方の外交当局にとって恥ずべきことでしたから、認めたくありません。したがって外交の当事者は、この交渉を「クラリフィケーション」と呼びました。こうした婉曲表現は、いかにも外交官が好む言い方です。
 
 1986年10月、主に欧州に配備した中距離核戦力(INF)を削減するために交渉を続けてきた米国とソ連は、アイスランドのレイキャビックでレーガン、ゴルバチョフ両首脳による会談を開きます。「首脳会談(サミット)に失敗なし」と言われるように、事務当局が周到な準備をした結果を受けて開かれるのが首脳会談ですから、そこでは合意ができるのが一般的です。

 しかし、レイキャビックでの米ソ首脳会談は違いました。合意ができなかったのです。合意ができなければ、普通はそれを「決裂」と呼びますね。事実、レイキャビック会談も、そう受け止められました。
 
 しかし、双方はこれを「潜在的合意はできている」と発表し、事実、その後87年12月のワシントンでの首脳会談で合意に至りました。
 
「決裂」という言い方をせず、将来に可能性をつなぐための便利な言葉が「潜在的合意(potential agreement)」です。「決裂」と「潜在的合意」のふたつは、同じものを別の角度から見ただけの違いですが、印象はまったく違います。レイキャビック会談の「潜在的合意」が最終的に実を結んだのも、「決裂」と表現せず「潜在的合意」として未来に可能性をつなげたことが影響しているでしょう。

 交渉の経過をどう説明するか、合意できなかった話し合いをどう表現するかは、なかなか難しい問題ですが、外交官はこのための様々なレトリックを持っているのです。

「結論先送り」を前向きに言うと

「解決を先送りにする」というと、あまりいい意味ではないようです。一時的にしのいだだけで、卑怯だと思われるようです。しかし外交交渉の場では、必ずしもそう評価されるとは限りません。

 中国の実力者であるトウ小平氏は、1978年に訪日し、尖閣諸島問題を聞かれ、「解決は次世代に任せよう」と述べたことがありました。これはあからさまな「先送り」発言です。しかし、この時日本国内では「大人の対応」と評価する声が強かった。トウ氏が亡くなった時、ある新聞はこの話に触れ、「多くの人をさすがと思わせた」(日本経済新聞 1997年2月20日付夕刊)と書いています。
 
 しかし、日本の公式見解に照らせば、中国には尖閣諸島の領有権要求を取り下げてもらわなければ困る。尖閣諸島は日本が実効支配していますし、「日本の領土であることには一点の疑いもない」「日中間に領土問題はない」、それが日本政府の立場です。日本の主要紙でこれに異議を唱えた社説は知りません。
 
 こういった立場からすれば、単に解決の先送りを述べただけのトウ発言は、それほど評価すべきものではないのでしょう。

 実際、今になってこの「先送り」は裏目に出ています。2010年9月、尖閣諸島海域で中国漁船が日本の海上保安庁の巡視船に衝突し、日中間で領有権をめぐる問題が再燃した時には、30年以上前のトウ発言が取り上げられたため、前原外相(当時)は「一方的な言葉であり、日本が合意した事実はない」と説明しなければなりませんでした。
 
 ではなぜ、78年当時は、尖閣解決先送り発言に日本の空気は温かく、マスコミは批判をしなかったのでしょう。様々な理由があったと考えられますが、主として当時の日中関係そのものが温かかったからです。
 
 78年10月のトウ訪日は、日中平和友好条約の批准書交換のためであり、いまからは想像もつかない祝賀気分がありました。文化大革命で失脚し、四人組の逮捕の後に復活したトウは、文革派と違って日本にとって好ましい人物であり、同年12月に改革開放路線を決めています。当時の中国はソ連と敵対していたため、西側諸国である日本や米国にとってむしろ好ましい国であり、支援の対象であって競争者ではなかったのです。
 
 ここから分かることは、核心部分で結論が出ず、実質は「決着先送り」にならざるを得ない場合も、レイキャビック会談の「潜在的合意」、トウの「次世代発言」のように全体の傾向が前向きなら、マイナスイメージを与えないということです。たとえ「懸案先送り」を発表する場合でも、表現をあれこれと工夫し、合意の幅がわずかでも広がっていればそれを強調する。その後の影響はともかく、これが外交担当者の常識なのでしょう。

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