幻の淡水魚「クニマス」「クチグロマス」、貴重な“田沢湖時代”の標本が東大で見つかる! 専門家が“大発見”の背景を解説
ナゾの淡水魚「クチグロマス」の正体
そもそも田沢湖からクニマスが姿を消したのは1940年のこと。強酸性の河川水を田沢湖に引き込んで中和し、流域を農業用地にするためであった。結果として田沢湖の酸性度が上がり、クニマスをはじめ多くの生き物が死滅してしまったのだが、その中にクチグロマスも含まれていた。
今でこそ中坊氏の研究により、このクチグロマスはクニマスの若魚であると推察されているが、クチグロマスそのものの標本は、実は1体も残っていなかった。
「クニマスの成魚は黒いのですが、若い時は銀色で、口の先だけがわずかに黒い。そのためかつて田沢湖の漁師たちはこの2つを別の種と認識して、成魚をクニマス、若魚をクチグロマスと呼んでいたと思われます。それが今回、初めて“クチグロマス”のラベルがついた標本が見つかったのですから、これは大きな発見です。標本で茶色に退色しているとはいえ、西湖のクニマスの若魚と同様に、口の先が黒い。これでクチグロマスが本当にクニマスであったことは、間違いないでしょう」
その上で、この標本にまつわる、あるエピソードを明かしてくれた。
「クニマスが新種として命名されたのは1925年のことで、大正5年(1916年)当時は、まだ種として記載されていなかった。ですから、この標本を用いて種を決めていたら、今頃は図鑑にクチグロマスの名前で載っていたかもしれません」
世界最古のクニマス標本も
ところで、今回の標本の内の1体、2月22日に確認されたものは、いまから116年前のもので、現存する20体の「田沢湖クニマス」の中で、最も古いものであることも分かった。そして、これが明らかになった経緯も、実に興味深いエピソードがともなう。
中坊氏が言う。
「日本の湖沼学の草分けに田中阿歌麿という人物がいます。彼が1911年に刊行した『湖沼の研究』(新潮社刊/絶版)にクニマスの標本写真が掲載されているのですが、実はこの写真の原版が2011年頃に、同じく東大博物館で見つかっているのです。そして今回、見つかった標本と見比べたところ、標本作成の際に刺したピンの位置や体の傷などが一致したのです」
そして、田中阿歌麿の記録に従えば、これは1909年8月15日~16日に田沢湖の測深調査の際に地元漁師から提供を受けたのが、この個体である。
世紀を超えて、われわれの目の前に立ち現れた過去からのメッセンジャーは、さまざまな「物語」を我々に提供してくれる。7月27日~8月1日には、東京・本郷の東京大学総合研究博物館本館で、これら標本や写真などを展示される。





