アンゴラ村長にキンタロー。 女性芸人はなぜ「脱ぎたがる」ようになったのか 「自分の体を肯定する=強い私」というプロデュース術
文芸芸人ブームの次は写真集芸人? 新たなルッキズムを生む懸念も
男女問わず芸人たちが「体を張って/張らせて」笑いを取る手法に慎重になり、自らの体を「どう笑わせるか」から「どう魅せるか」へとベクトルが転換した。かつて芸人が書籍を出すことが文化人への第一歩と見なされたように、今は「写真集やビジュアル作品を出すこと」が、芸人の新しいフェーズへの橋渡しになっているのではないか。
正直、あまりに露出度が高かったり、生々しい写真はどう見ていいか分からなくなることもある。ただ「脱ぐ=消費される存在」という単純な図式では捉えきれない、「オンナ芸人」という言葉さえすでに古く感じられるほどに、令和を生きる女性芸人たちは多面的な存在へと進化しているということなのだろう。
とはいえ、こうした動きがさらに若い女性芸人への無言のプレッシャーとなる懸念もある。「セクシーにならないと話題になれない」「美を武器にできないと生き残れない」という焦りやプレッシャーを感じるようになれば、それは別の形でのルッキズムであり、また新たな「容姿の呪い」につながりかねない。
芸人という職業は本来、ジェンダーも年齢も超える「表現の自由地帯」であるべきだと私は思う。笑われてもいい、でも基本スタンスは笑わせる側でありたい。衣服は残っていなくても、笑いは残したい。時代がさまざまに風向きを変える中、今日も女性芸人は笑いと自己肯定の交差点に立ちながら、「女芸人」という幾重にもまとった古い衣を一枚ずつ脱ごうとしているのかもしれない。








