アンゴラ村長にキンタロー。 女性芸人はなぜ「脱ぎたがる」ようになったのか 「自分の体を肯定する=強い私」というプロデュース術
「女」か「芸」かの二択はもう古い 自己肯定感ブームでの「女神」への変貌
もちろん懸念もある。「自分の意思で脱いでいる」と語る女性芸人たちの背後には、メディアや広告代理店による「見せ物としての売り方」が見える。「女芸人が脱いだらウケる」という価値観はいまだ根強く、自己表現と搾取の境界線は曖昧だ。
かつて芸人の武器は、どこまでも「体を犠牲にすること」だった。ケガしても笑いを取れればいい。スベっても、脱いで笑いが取れれば報われた。女性芸人はその場に存在するアイドルや女子アナといった「正統派の美女」や「モテる女」へのカウンターとして機能し、「ブス」「デブ」「独身」など、自己卑下を引き受けることで笑いを成立させていた。
しかし今は、自身の体を「笑わせる手段」ではなく、「肯定される対象」として扱う時代になってきたのではないか。特にSNS時代の到来とともに、容姿いじりはルッキズムとみなされ、笑いの倫理そのものが問い直されるようになった。女を捨ててこそ芸人という、ひと昔前のお笑い業界の常識はそこにはない。「女」か「芸」か、ではなく、「女」も「芸」も両立してこそ本当のプロフェッショナルなのだというプライドによって、芸人の体は「消耗品」ではなく、最も目立つ「メッセージの媒体」へと変わりつつある。
背景にはここ数年続いている「自己肯定感ブーム」や、欧米を中心に広がる「ボディ・ポジティブ」の影響もあるだろう。SNSでは「#自分を大切に」「どんな体型の私も愛そう」といったハッシュタグや投稿が飛び交い、「自分を愛する」をテーマにした書籍やビジネスは増えるばかりだ。
女性芸人たちの「脱ぎ」も、その一部である可能性がある。つまり、単なる性的なアピールではなく、「自分の体を肯定する=強い私」という、ある種のセルフブランディングやキャリア戦略としての、能動的なプロデュースの一種だといえるのではないだろうか。
実際にアンゴラ村長さんは「標準体型」をコンセプトにした写真集によって、お笑いでもグラビアでもなく「文化人」枠としてメディアに呼ばれることも増えたと語っている。「他人の声や目に縛られない」「ありのままの自分を愛そう」というスローガンは、容姿の良さで稼いできたアイドルや女優が掲げても届きにくい。でもこれまで見た目で笑われることが当たり前だった女性芸人たちが言うと、リアルに立ち現れてくる。
芸人界でも「モテ」市場でも下位に置かれていた女性芸人たちは、文字通りひと肌脱ぐことによって、自己肯定感ブームを象徴する「女神」への変貌を遂げ始めているのだ。
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