離婚後、父が何度も再婚相手を連れてきて…紗倉まなが明かす「途中で挫折してしまった脆い家族」
「鍋が空中で舞う」
とはいえ、両親同士は仲が悪かったんです。まるで「鍋が空中を舞う」ような激しい喧嘩もありましたし、母が父の浮気をきっかけに「解散します」と宣言して、一家離散もしました。そういった部分を振り返ると、「途中で挫折してしまった脆い家族だったな」と感じることはありますね。
本の中では、「家族コンプレックス」という言葉も使っています。周りの友人たちの家庭を見ると、両親が仲が良くて、家庭内に和やかな雰囲気が漂い、絆や愛情、結びつきを強く感じるような家庭がたくさんあります。
もちろん、その中には傍目には見えない家族の中での悩みや蟠りはあるのかもしれませんが、私にはそれが、時に眩しくて羨ましかったんです。両親は常に喧嘩していて、私は一人っ子だったので、2人の機嫌をフェアに取りに行かなければならないだとか、それは両親からは求められていない気遣いだったと思いますが、二人の架け橋になるような言動をせざるを得ませんでした。また、両親が共働きで「鍵っ子」だったので、家に帰っても誰もおらず、一人でずっと勉強をしているような寂しい時間もありました。
だから、模範的な温かい家族を見ると、無意識のうちに刺激を受けていたんです。比較するものではありませんが「人よりも劣っている」と唯一感じてしまう要素でした。自分はそうした家族の絆を修復させる力もなく、娘という絶対的な存在があっても父は私からあっけなく離れていき、そういった一切合切を含めた時に、それが私の「家族コンプレックス」として形成されたのではないかなと感じています。
その心境は今もまだ、多少は残っています。私は母に「血は繋がっていても、私とあなたは個別の人間で、他人です」と宣言しています。母が産んでくれたことには感謝もしていますし、大好きで大嫌いな愛憎の塊のような存在であるからこそ、互いのことにはむやみに干渉しないで生きていこう、他人なのだから分かり合えない瞬間があっても仕方ない、という思いがあり、それで発した言葉です。
ですから、母にも好きに生きてもらいたいし、そのために必要なものがあればもちろん私は全力で援助や応援はする姿勢で生きています。同時に母にも、だから、私がすることにも決して口出ししてこないでほしいと伝えています。母は「なんでよ、血が繋がっているんだから他人じゃないよ」としきりに言ってきますし、母がその言葉に腑に落ちていない理由もよくわかるのですが、私としてはいい意味で割り切れる距離を保たないと家族は崩れる、と感じてもいるんです。ただ、「互いにずっと味方でいようね」という強い繋がりがあるからこそ叶っていることだとも思います。
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