「教育を受ける機会さえあれば、どんなに貧しくても人は未来を切り開ける」 “あしなが運動”を生み出した玉井義臣さんの信念

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 物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は7月5日に亡くなった玉井義臣さんを取り上げる。

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お金を集めるだけでなく、心の支援まで

 親を失った子供の学びを奨学金で支える「あしなが運動」を生み出し、半世紀以上にわたりけん引してきたのが玉井義臣さんだ。1969年以降、約1100億円を集め、11万人余りの遺児が進学できた。

 交通遺児育英会の第1期生で文部科学大臣などを歴任した下村博文さんは言う。

「9歳の時、父を交通事故で亡くしました。貧困家庭で高校進学すら断念しかけていたのですが、支援のおかげで大学まで学ぶことができ人生が変わった。教育を受ける機会さえあれば、どんなに貧しくても人は未来を切り開けるとおっしゃり、その姿勢は全くぶれなかった。お金を集め奨学金を出すだけではありません。私のように生意気だった学生の話も聞き、気持ちに向き合って下さった。人を育てる教育者でもありました」

 元東京都議会議員の寺山智雄さんも述懐する。

「私は交通事故死した父の記憶がありません。玉井先生が父同然で師です。私たち遺児は親がいないことへの思いをどこかに抱えています。心の支援まで考え、私たちが集い話せる場を作って下さった。学びと信頼できる仲間が生きる糧になる。志と温かい心を持ち、自立して人生を前向きに歩んでいこう、とおっしゃった」

はじめの一歩は街頭での募金活動から

 35年、大阪府池田生まれ。父は金網作りの職人。滋賀大学を卒業、証券会社で働くがすぐ退職。経済関連の文章を著し糊口をしのぐ。

 63年の暮れ、母が暴走車にはねられ他界。事故に殺された、敵を取るとの思いで交通事故の救急医療の問題点を地道に取材し、事故の補償についても追究する。66年から「桂小金治アフタヌーンショー」で交通問題のコーナーにレギュラー出演し一気に著名人となった。

 姉らを飲酒運転のひき逃げで失った岡嶋信治さんと67年、遺児救済のために街頭に立ち募金活動を始めた。この運動が関心を集め、超党派の国会議員からも支持される。こうして69年「交通遺児育英会」が設立。玉井さんは専務理事に就く。

「考え方や立場の違う人も巻き込んでいく力があった。人たらしでアイデアマン。他の人の提案も尊重しながら実現した」(下村さん)

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