「教育を受ける機会さえあれば、どんなに貧しくても人は未来を切り開ける」 “あしなが運動”を生み出した玉井義臣さんの信念

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遺児を救いたい一心で

 学生が全国の街頭で募金を呼びかけるスタイルは、秋田大学の桜井芳雄さんの提唱をもとに確立。お互い名乗り合うことはなくても、心が通う奨学金のしくみができればとの声に、ジーン・ウェブスターの小説『あしながおじさん』をヒントに匿名の篤志家が定期的に寄付を続ける形を創り出す。

「遺児を救いたい一心で、言動は現実主義的で正直。ワンマンというより率先して働いていた」(下村さん)

「支援してもらった私たちが、今度は自分には何ができるだろうと考えて行動に移す。こうして“恩を送る”ように周囲の人や次世代に思いやりや共生が無理なく広がることを玉井先生は見据えておられた」(寺山さん)

阪神・淡路大震災で光った繊細な心遣い

 順風満帆な時ばかりではない。「交通遺児育英会」には官僚の天下りが増えてきた。交通事故以外の災害や病気、自死による遺児にも奨学金が必要と考える玉井さんと会の間にあつれきが生じ、94年、追われるように専務理事を退く事態になった。

 前年に全て民間からの寄付で運営する「あしなが育英会」を設立しており、ここで再出発を期す。交通事故を除く遺児が支援対象。95年、阪神・淡路大震災では繊細な心遣いが光り、アフリカの遺児にも支援を広げた。

「アフリカに利害関係がないからこそできる、関わる日本の若者も学べるとスケールが大きい。従来の成果に安住しない」(下村さん)

 車椅子使用のため現地に赴けなかったが昨年の能登半島地震の支援にも携わる。

 7月5日、敗血症性ショックのため、90歳で逝去。

 子供はおらず奨学生の成長を楽しみにしていた。自分は橋渡し役に過ぎず、お金を出しているわけでもない、人の縁に恵まれたと語り、手柄話などしなかった。

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