「自分たちの一番いい時に…」キャンディーズ解散は“有言実行” 「微笑がえし」録音で“育ての親”が涙を流した深すぎる理由
アイドルが強まり離れた「育ての親」
と言うのも、意外な分野に導こうとしたそうで、
「アイドルではなく、プロのコーラスグループとして成功してほしくて、だから生半可ではないボーカルトレーニングをさせました。素人同然の3人には大変だったと思いますが、弱音を吐かずによくついてきてくれた。初めは音程を取るのも難しかったのに、歌唱技術はみるみる進歩しましたね。それでもなかなか売れませんでした」
レコードだけで30数億円を売り上げたキャンディーズの、これが駆け出しの姿だったというのだ。
「それが、少しずつ曲が売れはじめ、『春一番』の大ヒットで人気に火が付きました。すると、それまで彼女たちに期待していなかった事務所も商業主義的路線、要するに、よりアイドル色が強い方向へシフトしようとした。私は違和感を覚え、キャンディーズから離れたんです」
そう語る穂口氏は、実はかなり以前から、こう聞いていたという。
「彼女たちは、まだ人気の出るずっと前に“自分たちの一番いい時に解散しようね”と話していました。海外のなにかのグループが解散したという報道を見て、雑談のなかで自分たちの解散を口にして、その言葉通り、絶頂期に解散を決断したんです」
ミュージシャンとして解散させてやろう
3人が突然、冒頭で紹介した言葉で解散を宣言したのは77年7月、日比谷野外音楽堂におけるコンサートでのことだった。
「その後、松崎さんから私に、作曲の依頼がきました。アイドル路線を掲げていたキャンディーズが私に戻ってきたということは、ミュージシャンとして解散させてやろうということ。私は意気に感じて、ラストシングル『微笑(ほほえみ)がえし』を作曲しました。もともとコーラスグループをめざしていた彼女たちは、アイドル生活に嫌気がさしていたように僕は思った。だから、最後はカッコよく解散させてあげたくなりました」
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